港湾開発に関してはさらに2つの原理・原則があります。ハンブルク州における港湾管理は、州が行っていますので、ハンブルク州ではポートオーソリティがありません。また港湾省もない、つまり港湾に関してのすべての責任が1ヵ所に集中しているということがありません。それどころか、ハンブルク州の5つの省が港湾問題に関係しています。しかし港湾開発、インフラ整備、企業誘致、使用料の決定や船舶関係の問題についての責任は経済省がもっています。最後の原理・原則として、個別の港湾予算はありません。しかし、税金、入港料、賃貸料などのすべての港湾収入は州の予算に繰り入れられ、インフラへの投資や保全のための支出は州の予算から拠出されており、毎年ハンブルク議会が承認するものです。
3.4 港湾開発計画
1997年、ハンブルク議会は向こう10年間において実地されるプロジェクトを含む新しい港湾開発計画を承認しました。
同計画の基本的な要素としては、貨物に関する補完的なサービスを導入することによって、港湾を貨物中継基地から一貫輸送流通のためのセンターにするということ。さらに、その目的に向けて港の古い施設を再建する、つまり長い岸壁延長を持つ今世紀初頭からの古く狭い桟橋を放棄し、もはや使われていないような古い港を埋め立てて土地を確保するということになっています。これによって、過去20年間にわたり、新しいあるいはリサイクルされた土地を218ヘクタール確保しました。
スクリーンに示す港の平面図は、現在計画中、あるいは建設中の3つのプロジェクトをまとめたものです。南西インド港、コンテナ・ターミナルとTollerortの拡張及び、コンテナ・ターミナル・Eurokaiの拡張です。これらのプロジェクトを通してさらに130ヘクタールが再開発されます。さらに、アルテンベルダー地区における拡張(215ヘクタール)については、新しいコンテナ・ターミナルで、4バース、倉庫・物流センター、鉄道施設を含み建設が開始されています。最後にエルベ川を増深し、港における航路を確保しようと考えています。現在の水路は引き潮の時に13.5m水深となっていますが、増水することによって最新のコンテナ船の必要水深需要を満たそうとしているわけです。このプロジェクトは、河川浚渫の責任を担っている連邦運輸省と密に連携して進められています。
4. ハンブルクにおける組織成立の背景
次に私どもの組織の背景についてご説明いたします。なぜこのような組織構造を受け入れたのかということをよく聞かれますが、歴史的な理由からであるという答えでは単純すぎると思いますし、必ずしもそうではありません。というのは、私どもの港は、Frederick Barbarossa皇帝が、1189年に貨物輸送権と漁業権をハンブルクを与えてからすでに800年たっています。ところが現行のシステムが確立されたのは1970年です。同時に、現在の組織に関わる点においては、確かに歴史的な影響も否定できません。
中世以来、ハンブルク市の発展は港に依存してきました。ハンブルクは海運、貿易の場であったわけです。ハンブルクの人々はむしろ交渉好きで、北欧から近隣諸国たとえばデンマークからの攻撃を受けた時がそうであったわけですが、何とか交渉で買収しようとしたのです。そういったところから、商売上手(ペッパー・サック)というあだ名がつきました。1769年に最後の契約が結ばれた時に、ハンブルクはデンマークを多額な債務から解放し、その代わりにエルベ川の南岸を拡張用地として補償というかたちで受け取りました。これがわれわれの現在の港の中心となっています。規模にかかわらず、港というのは経済的な推進力となっており、地元、地域及び全国的なレベルそれぞれで重要な影響をもつものです。他の産業地域と同様に、港は雇用を創出し、税収をあげ、経済活動を立ち上げることができます。ハンブルクは、たとえば直接的、間接的に港に関連する雇用が14万もあり、市全体の雇用の15%を占めています。特に失業率がハンブルク市・州の場合は12%にも及んでいることから考えると非常に印象的な数字であると思います。