公共港湾のメリット
1] 無秩序競争状態に代わる調整・統合機能の保持
2] 独占的価格設定、差別的サービス供給でなく、標準的なレートの設定
3] 水際線の最大限の活用と公共資本形成
4] 貨物需要に見合った、あるいは、需要を創出するような港湾施設整備の展開
民営港湾から公共港湾へ移行した例としては次ののようなものがある。
民営港湾から公共港湾への移行の事例
A. サンフランシスコ港 1863
ゴールドラッシュ(1849)による爆発的な貨物増に対処するため、州政府が市に対して港湾施設を建設しリースする権限を付与(1851)。市の要請により、州政府はサンフランシスコ港を管理する港湾管理委員会を設立(1863)。州の管轄するサンフランシスコ港湾管理委員会は約100年間存続したが、サンフランシスコ港は1969年、再び市の一部局が管理主体となって現在にいたっている。
B. ロングビーチ港 1909
ロサンジェルス市が、港を保持するためサンペドロ港までの土地を市に組み込み、サンペドロ港一帯を市管理港湾として整備しようとしたことに対抗して、ロングビーチ市はサンペドロ港のターミナルアイランドの一部を獲得し、港湾経営を開始した(1900年代初)。市は、1909年、土地取得と港湾施設建設のための債券を発行し、本格的に市営港湾の運営に乗り出した。1917年、ロングビーチ港の港湾管理委員会が設立され、1925年独立経営の市の一部局として位置づけられた。
C. シアトル港 1911
シアトル港を鉄道との結節点とするため、港湾開発のための土地が大部分、ヒル氏とグレートノーザン鉄道に譲渡された(1893)。グレートノーザン鉄道は、ウォーターフロントを独占して港湾施設利用料を高く設定し、自社のみを差別的に優遇したため、シアトル港の利用が減少した。この事態を改善する努力がなされ、1911年、ワシントン州の「港湾行政区法」が制定され、シアトルポートオーソリティが設立された。
D. ボストン港 1911
当初は、ボストン港に乗り入れていた鉄道会社がそれぞれ1専用の桟橋を建設し、独自に利用料金を設定したり、特定の船会社のみに利用させていた。次第に特定の鉄道と船会社のペアが固定し、運賃競争が少なくなるとともに港湾の運営が硬直化してきた。このため、1911年、市はボストンポートオーソリティを設立して、公共的に港湾を管理することとし、ポートオーソリティは既設の公共港湾施設を引き継いだほか、民間の港湾施設を買収する権限を得て、ボストン港の管理運営を開始した。第二次世界大戦後、ニューヨーク港に比べて競争力の低下したボストン港を再生するため、州の管轄するマサチューセッツポートオーソリティが設立され(1956)現在にいたっている。