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を「保障可能で、しかも保障すべき生命のリスク」という考え方が定着し、それを国の公的社会保険の枠組みの中に入れることとなった。

論争にかかわっていたのは、政府当局、連邦州、主要政党、政党内のグルーフ°、労働組合、民間保険会社、経営者団体、医師会、NPOなどであったが、これらのセクターはそれぞれの立場で草案を提出し、論議を重ねていった。しかし、介護保険とその論議が一般市民の間に広く知られるようになったのは、1989年の第一次医療改革つまり「保健改革法」(GRG)の後からである。この改革法によって、要介護の状況が広く社会から注目され、初めて重度要介護者への新しい給付が疾病金庫を通して確保されるように図られた。そして、その後1990年から1994年4月に介護保険法が成立するまで、総論、各論において議論は展開された。この間の主な論点としては次の五つを挙げることができよう。

1]社会保険制度をとるか、税制度をとるか。

2]賦課方式(Umlageverfahren)を採用するか、資本積立方式(Kapitaldeckung-sverfahren)でいくか。

3]保険料は労使折半とするか、片方持ちにするか、また何らかの「軽減処置」はないか。

4]年齢制限の有無。

5]身体傷常者の社会生活への編入(Eingliederung)も給付の対象にするか否か。の課題をめぐってであった。

 

2. ドイツの介護保険の内容と特徴(日本の介護保険との比較も含めて)

 

そして1994年4月導入されたドイツの介護保険制度は、結局次のおよそ14点をその特徴として持つこととなった。これらの特徴については、日本で予定されている介護保険の内容と比較してみると、いっそうはっきりしてくるかと思われる。

1)介護保険はドイツの社会保障制度のもとに、「世代間契約」(Generationsvertrag)を基本理念として賦課方式を取り入れ、「第5番目の社会保障の柱」として導入された。「世代間契約」を基盤としているのは、日本と似ている。

2)これまで税金による「社会扶助」(Sozialilfe、日本の生活保護のようなものだが)の受給者を「自己支払者」(Selbstzahler)にする目的があり、その他の保険分野の赤字を補填することも計算にあったといえよう。この点も日本の場合と同じだと思われる。

 

 

 

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