出産や子育ては基本的に個人や夫婦の選択問題である。この原則は今日においても尊重されなければならない。「子供を産まない自由」を保障することは依然として人間の基本的人権の一部であると考えられるからである。
個人レベルにおける自由が謳歌され、それによって社会全体もハッピーになれば、何も問題はない。ただし世の中は必ずしもそううまくいかない。個人の自由にまかせた結果、子供をつくらない人がふえていく。そして社会経済が衰退するというのである。
しかし、そうだからといって社会が出産や子育てに対する支援をさぼってよいとはいえない。ディスインセンティブが大きくなり、出生率の低下が社会全体として由々しい問題につながるとすれば、社会はそのディスインセンティブをできるかぎり取りのぞく努力をする必要がある。あるいは出産や子育てにプラスのインセンティプを与える必要さえあるかもしれない。いずれにせよ出産や子育てに対して社会全体が敬意を払い感謝をする仕組みを早急につくる必要がある。
日本は戦後50年にわたって出産や子育てに対する積極的な支援を怠ってきた。「子供は勝手に産んで育てなさい」といわんばかりの社会であったのである。
お年寄りに対する社会全体としての敬意と感謝とくらべてみよう。まず敬老の日は国の祝日であるが、母の日や父の日は国の祝日でない。シルバーシートはあるが、マタニティシートやベイビーシートはない。お年寄りを公営住宅に優先入居させる制度を有する地方自治体は少なくないが、出産直後の若者世帯を公常住宅に優先入居させたり家賃補助をしたりする仕組みを有する自治体は皆無に近い。敬老金制度はほとんどどこの自治体にもある。一方、出産祝金を制度化している例はきわめて少ない。
年金制度は「世代と世代の助けあい」の制度である。子供は将来の年金を支える役割をはたす。それにもかかわらず年金は出産や子育てに対して少しもインセンティブを与えていない。月給が40万円であれば子供の人数にかかわりなく支払う保険料も同じであり、将来受給する年金額も同じである。子供を何人産んで育てたかは年金制度のなかではほとんど考慮されていない。
育てている子供の人数に応じて年金保険料額を変えることも検討に値する。子供を3人や4人も育てている人には年金保険料負担を軽くする。他方、子供を産まない人(あるいは子育てをしない人)、1人しか子供を産まない人には、その選択を尊重しながらも然るべき年金負担をしていただく。そして年をとったら同じ年金を支給するのである。
あるいは年金制度のなかに社会全体としての敬意と感謝をこめた出生手当を新設することも検討に値する。出産祝金を社会化するのである。児童手当も年金制度のなかに組みいれて給付額や支給期間・支給要件を抜本的に見直す。所得税・住民税の児童に対する扶養控除を廃止し、それぞ増収となる税金は一括して児童手当の増額に振りむける。