その後、その値は急激に低下し、1957年以降2.1前後で安定していた。「子供は2人の時代」がしばらく続いたのである。そして1975年以降、ふたたび低下しはじめた。1989年のそれは1.57となり、戦後最低となった。その後も下げどまる気配をみせず、1993年には1.46まで低下した。1994年には1.50までもち直したものの、1995年は1.42を記録しており、下げどまる気配をみせていない。1996年には1.43となった。ただ、この1996年は「うるう年」であり、その補正をすると1.42である。都道府県別にみると、東京都のそれは1996年において1.07であった。大都市圏や北海道の出生率が総じて低い。
出生率が低下している背景には次のような事情がある。1975年以降、男女の賃金格差は急速に縮小した。ちなみに20歳代後半の女性賃金を1とすると、同世代の男性賃金は1970年には1.8であった。それが1990年には1.3まで縮小している。その結果、今日では出産を契機に妻(あるいは夫)が勤めを辞めると生活水準は低下してしまう。これが一般である。
生活水準の低下を避けようとすれば、勤めをつづけながら子育てをしていかざるをえない。家事と違い、子育ては手抜きができないので、働きながら子育てにあたる夫婦にとって育児にかかわるエネルギーや時間の分担は大きな悩みの種になる。父親の育児参加は傾向的にふえてはいるものの、依然として育児は母親の肩に重くのしかかっている。
育児は親の体力・時間を奪う側面を持っている。さらに育児にはそれなりに費用がかかる。1994年本の厚生白書によると、1人の子供が大学を卒業するまでに平均して2000万円の私的費用がかかるという。
子供を産まなければ、お金も時間も体力もすべて自分のものになる。勤めつづけるかぎり生活水準が低下する心配はまずない。それに年をとっても年金や医療は社会制度として整備されている。介護サービスも社会的に整備されつつある。自分の子供がいなくてもなんとかなる。
子供は自分では産まず(つくらず)、他人に産んで育ててもらう。そして年をとったら他人が産んで育てた子供に年金等で面倒をみてもらう。結果的に、これが今もっともラクでありトクな選択である。
出産や子育てに伴うディスインセンティブが今かつてないほど大きくなっている。それにもかかわらず、そのディスインセンティブは放置されている。今の若者は世の中に楽しいことがいっぱいあることを知っている。その若者のなかに「子供ができたら地獄だ」とささやく者がいる。苦難な道を避け、「易きにつく」人びとがふえていても不思議ではない。そうしたなかで出生率が徐々に低下しており、回復するめどは立っていない。