ところで日本では社会保障構造改革に関連して所得比例年金の民営化(いわゆる2階部分の廃止)を提案する例が1996年には目立ったように思われる。産業構造審議会、経団連、経済企画庁の研究会等から発表された意見書や報告はいずれも2階部分の廃止を求めており、さながら大合唱の感があった。1997年4月2日に三塚蔵相も同じ提案をしている。
これらの意見(以下「2階民営化案」と呼ぶ)に対する疑問は主として五つある。
第1。実施にあたり「二重の負担」問題(両親の面倒はみるが、自分の老後は子供や孫にはたよらないことによる負担問題)が発生する。すでに年金受給者となっている人の年金は今後とも政府が払いつづける必要がある。定年退職直前にある人や中年齢者が過去の拠出をつうじて積み上げた年金給付に対する期待権にも政府は可能なかぎり誠実に応えていかざるをえない。その費用は手持ちの積立金だけでは賄えない。未積立分は巨額に達しており、米国で12兆ドル(GDPの1.8倍)、ドイツで10兆マルク(GDPの3.3倍)と試算されている。日本でもGDPの2倍前後の未積立債務がある注26)。
制度切りかえ時点の青壮年層は、この未積立債務の一部を返済しながら(今までとほぼ同程度の年金負担をしながら)、みずからの老後に備えた積立を別途、迫られる。全体として年金負担は制度の切りかえ時には必ず上がり、現役世代の生活を圧迫する一方、企業に追加負担を強いることになる。
仮に未積立債務を国債に置きかえると政府赤字は一挙に増大(あるいは未積立債務の利子相当分を税でまかなうと財政規模は一挙に拡大)する。これは日本政府が進めようとしている財政構造改革に逆行する内容である。
第2。民営化された年金は掛金建てで運用される。給付は事前には確定しない。老後生活の安定(従前生活水準の維持)は必ずしも保障されず、運用リスクや物価変動リスク等はすべて本人が負うことになる。また掛金建て民間年金の場合、給付は男女で差がつく。女性の方が男性より総じて長命だからである。掛金が同じであれば年々の給付は女性の方が少ない(厚生年金の場合には、こうならない)。
公的年金は「老後生活の安定」を図るための制度であったはずである。この目的を仮に「最低生活の保障」のみに切りかえるとしたら、それにふさわしい手段を組み合わせることが求められる。たとえば1階を含めて民間年金保険スキームヘの加入を全国民に強制し、生活保護制度で補完するというのも一つの方法である。この場合、国は公的年金の制度運営からはいっさい手を引くことになる。ただ民間保険への加入を強制するだけである。そしてミーンズテスト(資力審査)つきの生活保護制度で最低生活を保障する。