今日ドイツでは90%の人が病院または施設で孤独な死を迎えている。在宅で死を看取らない理由は,過重労働で手が回らないためと死に対する恐怖があるためである。そこで自宅で人生の幕を閉じるのを応援する市民運動として3年前にこのラティーゲン市ホスピス活動協会ができた。机2つ,パソコンだけの小さな事務所である。ホスピスの目的は遅すぎず最もよいタイミングで生を死に持っていくことだというレッチャート牧師が協会会長を務め,ホリング女史は心理学を学んだあと,この協会の事務やボランティアの養成をしておられる。
ノートライン・ヴェストファーレン州には170のホスピスがある。136が在宅,21が滞在型,その他はPCUなどである。ドイツは国の組織として滞在型とPCUを援助している。
この協会は患者さんの家を訪ねて患者さんや家族の方々と直接話して,彼らが何を望んでいるかを聞き出すのが主な仕事である。病院や福祉施設と密なコンタクトをとって活動している。
「患者さんの中には,何も話さないでずっとそばにいてほしいと希望する人もいるし,自分の悲しみを話したい人もいます。死ぬ前に美容院へ行きたい人,町で買い物をしたい人,散歩に行きたい人などさまざまです。もう一度太陽を見にスペインに行きたいと希望する患者さんと一緒にスペイン旅行をしたこともあります。その方はとても満ち足りた状態で亡くなられました。大事なことは,温かい光と人間の優しい手それに開かれた扉があることです」と体験談も交えて話された。
その他,学校や市民向けの死の教育も行っている。
この3年間に60人のボランティアを採用し,25人が活動中,他の35人は勉強中とのことであった。ボランティア養成プログラムは表の通り,ベーシックと上級で1年間,週一度各2時間ずつ受講することになっている。
この患者さんにはどのボランティアが一番ふさわしいかをホリング女史が決めて,ボランティアと一緒に患者さんを訪問する。その次からはボランティアに1人で訪問してもらうこともある。遺族のケアは1年以上続けていて,話し合いのグループもある。話し合うことにより,自分の穴から出られるからである。悲しみを隠すことはその人の病気につながっていくので,悲しみを分かち合う環境を作りたいと話していた。
運営の資金的サポートはラティーゲン市からの支援,国からの支援,コンツェルンからの支援・寄付とのことであった。
2.フランチスクス・ホスピス・ホッホダール
1995年開設の8床のホスピスである。ヤッハマン館長が説明され,施設を案内して下さった。
ホスピス開設の話が出た当時,住民は死に対する恐怖が強くて反対が多かったそうであったが,1991年にまず在宅ケアを始め,住民の理解を待ってホスピスをオープンすることができた。
ドイツの教育者であるルドルフ・シュタイナーのよい部分を取り入れてアロマセラピーや心理療法をするセラピストが5人いる。音楽療法は9月から始めるということであった。
専任のドクターはいないが,地元のドクターと密な関係を持っている。中庭の中央には小さな湧き出る泉があり,その周りには彩り豊かな花の鉢がたくさん置かれている。病室を出ると中庭が見える造りである。病室の洗面所にある鏡にはロールスクリーンが付いている。それは自分の顔を見たくない患者さんのためということであった。トイレはウォッシュレットで,フラッシュは足踏み式。便座の高さはワンタッチで自由に変えられる。洗面台も同じく高低調節付きである。
患者さんは専用のポケットベルを持っていて,病室を出るときにポケットにでもそれを入れておけば,どの患者さんがホスピス内のどこにいるかがナースステーションでわかるようになっている。

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