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緩和ケアの理念を広める努力を

国立がんセンター東病院緩和ケア病棟
宗原美由紀

 

はじめに

 緩和ケアに携わるようになって、3年目になる。
緩和ケアでは、1年目は無我夢中、2年目ではパターン化して考えることができるようになり、3年目では、個別性が見えてくると、いうように、丸3年でやっと一人前になると言われている。緩和ケア病棟では、その人の人生の終末期の一部にしか関わることがない。そのため、その人が今までどのような人生を歩んで来たかによって死生観が異なり、何を望んでいるのか、どのような援助がどのくらい必要であるのか悩むことが多い。
 今回、2ヵ月という長期にわたり、講義、実習を通して、緩和ケアの基礎を全般にわたって勉強させていただき、今まで悩んでいたことについて考える機会を得ることができた。

 

価値観

 緩和ケア病棟とは、と聞かれた場合、一言で表現するのは難しいが「患者の意思を尊重し、最期までよりょく生きるところである」と表すことがある。そのためには、病名告知は絶対的でありどこの施設でも行われているものと思っていた。告知という言葉自体も言い放つという意味を含んでいるように感じ、上から下へ告げ、知らせると感じられ、好ましくは感じない。しかし、現実には、全ての患者に病名は告げられてはおらず、入院の絶対条件ではないようだ。
 実際には“病名告知”そのものよりも、病状説明が大切であり、告知そのものを重要視する必要はないと思う。何故なら、患者、家族に病状を正しく説明すれば、病名は知るところとなってしまうし、何よりも、病名のみを告げ、それで説明が終わったつもりになってしまうことが怖い。病名を告げない理由は、文化、習慣、宗教、死生観の差などと言われているが、それは表面的なもので、本当の理由は、伝え方や伝えた後の支え方の学びの不足である。
 病名告知とともに、話題になることの多い“インフォームド・コンセント”であるが、自己決定を尊重するという観点に立てば、病名を知らずして何をと思う。お互いに情報を出し合って合意に達するものであり、目的は、患者の益、価値判断の尊重である。合意であって、同意ではなく、拒否もあり得る。
 今回の研修では倫理の講義があり、その中で病名告知やインフォームド・コンセントについての話があった。日々、看護する中で人の生命に関わり、何となく倫理観は必要であろうとは思っていたが、看護倫理について深く考えたことはなかった。「たまたま病を持ち弱い立場となり、自らの人生の決定権が揺らいでいる患者のその決定権を奪ってしまうことを助長させているのが今の医療である」と聞き、納得し、責任の重さを考えた。
 病名、病状を知った患者は、悪いことは聞きたくないという防御反応なのだろうか、生命予後の予測の長短にかかわらず、自分の人生について考えることを中断している患者が少なくない。そのようなとき、どうしたら心に届く語りかけができるのだろうかと躍起になってしまうことがある。そのようなときは倫理の原則、「自律の原則」を考え、心理的、肉体的にも制約された中での自己決定への援助を、押し付けることなく行う。

 

 

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