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近い将来マンパワーの補充を要求することになると思います。その時、アメニティーの充実が余計なやっかみとなる可能性があります。
 これまでの医療の発展は、先進国として人命救助率に固執してきた過程があります。患者さんのその時その時を大切に支援するという観点では、三次救急に対応するICUと緩和ケア病棟では同じではないでしょうか。なぜ、ICUの人員配置と緩和ケア病棟の人員配置とでは差があるのでしょうか。ICUの要求には誰もが[大変ね」と同情し、緩和ケア病棟の要求には「なぜ?」というような反応が返ってきたときに、きちんと説明できて相手に納得してもらうことができるということが必要だと思いました。また、行政と連携して病院内だけでなく地域にも緩和ケアについての啓蒙活動を病院ぐるみで展開できるような準備を上司と共に進めていきたいと思います。
 課題?の症状コントロールの実際については、志真泰夫先生の緩和医療の講義において「死は“出来事”ではなく“時間の流れ”である」という捉え方や緩和ケアの理念について学習した上で、症状コントロールの実際を事例検討したので、予期的不安を患者に提示して患者自身が現実大の予期的対処を導き出せるような支援方法の必要性がよく分かりました。そして、病院実習では患者のその人らしさを尊重し、患者の希望に沿った日常生活の援助をセルフケア能力を高めるという観点て実施されていました。また、患者のスピリチュアルペインについてもチーム一丸となってアプローチされていましたが、その実際を看護記録上からは読み取れないことがとても残念でした。患者と向き合ってあれほどの時間を費やしているのにもかかわらず、その場にいない第三者にはおそらく正当にケアの評価をしてもらえない状況です。
 私の所属する病院では、看護記録物を公開文書とする方向性にあり、万国で行われている看護介入の分類に関連させた看護介入計画を現在立案中です。この作業において実際の看護量と第三者による客観的評価ができるだけ等しくなるような表現方法や記載方法をも熟慮する必要性が示唆されました。それは、看護介入の実際を万国共通の語句で説明できれば、看護職以外の人間が看護量を客観視することができ、その評価が看護婦の労力に見合ったものであれば、看護介入の効果が看護婦の自信につながったり、次の看護介入へのパワーと成り得ることを、臨床で頑張っている看護婦ならば誰でも思っていることだからです。
 課題?のチームアプローチの実際については、実習病院て看護スタッフが呼吸困難感の症状コントロールについて揺れていたのでとても驚きました。なぜなら、この病院のチームメンバーは各々の専門性がとても高いと評価されています。私たちにとって、実習病院はとても恵まれた環境にあると信じて疑わなかったからです。確かに、呼吸困難感は主観的症状swあるためコントロールは難しく、倫理的問題を含むからでしょう。しかし、患者さんはこれまで在宅で頑張ってこられました。入院したらそのメリットを最大限に提供できるように、私たちは学習を重ねているのではないのでしょうか。専門的知識を看護介入に生かすことがてきないのであれば意味がないと思うのですが、ではどうしてなのでしょうか。このような状況が自分の病院でも起こる可能性があります。カンファレンスの場面で、チームメンバーの専門性を統合できていないことに気がつきました。様々な職種のメンバーが集まってディスカッションしようとしているのに、看護方針を提示してその根拠を前面に出してから意見調整しようとしないため、チームでの合意ができていないのです。看護スタッフ間で、なぜディスカッションするのか、合意するということはどういうことかという認識にばらつきがあるように思いました。また、看護スタッフ内でのリーダーシップ力やコーディネート力も弱いようにも感じました。

 

 

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