私は改めて「がんを知って歩む会」はがん患者と家族を支えるシステムとして、このサポートプログラムの必要性を再認識させられた。がん患者とその家族の気持ちを看護婦は積極的に受けとめていかなければならない。また、厚生省の医療費抑制策が講じられ入院期間も短縮している中で、いつ再発や転移が起こるかわからない緊張状態を強いられているがん患者や家族に対する看護婦の積極的な看護介入が求められている。しかし時間と人的資源が厳しい一般病棟の中で、この危機的状況の経過を見続けることは容易ではない。地域のサポート体制が弱い日本では、治療を受けている病院に繋がることで患者も家族も自分を支えている。医師から外泊や退院の話がでると医療者から‘見放された’思いになるのは、医療の貧困そのものではないかと思う。同時に医療者に信頼感がもてないことは、その不安や恐怖感をより強いものにしていると思う。
3)がん患者や家族との日常会話
患者や家族と看護婦の距離はどうしてこんなに遠いのだろう? どうして身近な看護婦に相談できないのたろうか? ‘忙しい'‘忙しそう'双方から必ず聞かされる言葉であるが、相談者の気持ちをじっくり聞いてみると‘相談しても応えてくれない'と話し始める。‘困っている気持ち’や‘切羽詰まった気持ち'が看護婦に分かってもらえない。相談しても自分の考えを話してくれないと言う。声をかけられたり、相談されることに看護婦はもっと誇りをもたなければと思う。患者や家族の信頼に応える機会を大切にしていかなければならない。相談は気持ちをぶつけてくるのだと思うことで少し気持ちか楽になるかも知れない。気軽な日常的な会話を交わすことで患者や家族の気持ちは癒されるのだと思う。会話を交わすことから信頼関係が生まれてくることを実感することが多い。
家族ケア
1)家族の捉え方
日本の家族形態は多様化している。かつてのように家族全体が助け合いながら生活していることは少なくなった。家族のためよりも自分のために生きていくことに価値を見出している。同居していても家族はバラバラであり、病気の介護をしている家族の気持ちを共有したり、直面している問題を共有できない家族が増えている。一方家族ではない人が患者の情報をもっていることも多い。病人のことで相談したくても看護婦がとりあってくれないと困って相談してくることもある。ホームヘルパー、内縁の妻、友人、職場の同僚などさまざまである。このような場合、医療者側が抱いている家族の捉え方が問題になる。従来の近親者を家族ととらえた場合、家族が直面している問題に対応ができない。今までの血縁関係による家族の概念から「お互いに家族として認め合っている」[精神的な絆を共有している」を家族と考えることができれば、どのように家族形態か変化しても対応できる。しかし、終末期では死に直結するために戸籍上の家族にこだわりをもたざるを得ない状況もある。そのために問題が複雑化し患者の情報は閉鎖的になっていくのであろうと思う。
電話相談でも相談者から「家族ケア」という言葉を時々聞くようになった。一般病院に勤めている看護婦も、患者をとりまく家族の姿が見えないためか、キーパースンが誰なのか分からないことがある。家族ケアを研究会のテーマにとり上げてほしいと要望している。
2)家族の情報を集める
実習先では忙しい看護婦たちがそれぞれ家族に対する細切れの情報をカンファレンスでうまく情報交換し合い、家族の気持ちや日常生活、個々の行動パターンをよく把握していた。そして集めた情報をプライマリーナースが先のケアにつなげていけるようにチームアプローチが展開されていた。
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