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緩和ケア病棟のゴールは

埼玉県立がんセンター
清水麻美子

 

はじめに

 私は看護するとき、患者の持っている力が最大限に発揮されるにはどうあるべきなのかを考えてきた。それには、患者かどんな気持ちで過ごし、どんな生活を望んでいるのかを理解することから始まる。患者が自分の中にある心に気づき目的が定まったとき、それに添う医療が提供できるなら、患者は最大限に力を発揮できることになると考える。医療が患者にできることはその環境を整えることであって、患者が生きようとしなければ生きられない。治そうとしなければ治らない。生も死も患者の持てる力ゆえの流れと思っている。しかし現実の医療は、患者の意思に左右されることなく医療者がよいと思ったことを遂行する。この医療の在り方は、治癒する見込みのあるときには何の問題もなかった。が、ひとたび治療に反応しなくなったとき、患者には経験として得ることのできる現在の自分に対して、どう生きていこうかといった意味づけが全く成り立たなくなってしまう。こう考えたとき、緩和ケア病棟が自己の施設でどうあるべきなのか、幾つかの問題をもってこの研修に臨んだ。
 ?化学療法に反応しなくなってもなお治療にかける気持ちが強く、患者の気持ちの転換をどう図るのか。
 ?緩和ケア病棟に入る患者の対象をどういう形式で決めていくのか。主治医と専任医はどういう関係でいることが患者にとって望ましいのか。
 ?病院全体のゴールは何なのか、そして緩和医療のゴールをどう考えていけはよいのか。
 ?緩和ケア病棟を病院の中でどういう位置づけとするのか。
 ?緩和ケア病棟の看護婦にどんな教育が必要なのか。自分に期待されている役割は何なのか。

 

研修で学んだこと

 治療が効かないと告げられた患者の心理過程は診断時と同様であるが、より深刻である。治癒を目標とした治療が失敗に終わったことを、医師も患者とともに受け入れる必要がある。治療が失敗に終わった怒りや、症状に対する苦痛、見放されるのではという恐怖が生じて、患者は従順になったり、自力でできることを無理にでも遂行しようと周囲の人々の心配をさえぎるように活動しようとしたりする。このような患者が緩和ケア病棟へと告げられた時に、患者の心に恐怖や不安が生じることは否定できない。多くは、患者の予後や可能性に対して前もって話し合うことはしていない中で、あたかも決して生きては帰れない場所へと告げられているかのように感じるだろう。そして、そこには主治医ではない医師が、となれば見放されたと感じて当然である。ここで、精神腫瘍学の内富庸介医師は「治療が効かなかった」と患者に告げた折、ひと呼吸おくことが大切だといっている。そして、患者を見捨てないことを約束し、苦痛症状を積極的にコントロールしていくことを告げ、方向転換に対するアプローチとすることを強調された。また、そのまま転科するのではなく、できれば1日でも2日でも自宅に帰ることで180度の転換をする機会を持つことが大切であるといっている。埼玉県立がんセンターでは、継続ケア病棟としてデイケア病棟を設立していることは耳にしている。私の中でやっとその意味するところが結び付いた。

 

 

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