しかし今回、田村恵子先生の危機理論の講義を受け、自分の中で何か結論を得たように考える。当時、この理論を考えなかったわけではないが、それが当てはまるのかどうかも判断できなかったのである。講義中のグループワークにおいて、メンバーの一人が実際に体験した危機状態と思われる事例をもとに、フィンクの危機モデルを使ってその経過とアプローチを分析した。肺がんの転移により予期していなかった下肢麻痺に至り、人格を失うまでのショックを受けたが、やがて適応に至ったという事例であった。
実は以前、同じフィンクの危機モデルを使って別の事例を分析したことがあるが、結局それは[危機」ではない、と指摘されたことがある。それを機に、入院前の患者・家族における感情や出来事の経過を把握することが困難なこと、「がん」という衝撃的な告知をすでに受け、ある程度の療養期間を経ているため、何らかの対処能力があること、なとの理由から、ホスピスでは危機モデルを活用する必要性があまりないのか、と勝手に思い込んでいた。しかし、他のグループのいくつかの事例にも触れ、ホスピスにおいても、危機的状況に陥ったり、また適応まで至っていない場合がありうることが理解できた。
このような経過から、今までの自分は、Sさんの問題をスピリチュアル ペインという視点でのみ捕らえていたことに気づいた。看護上の問題を検討する上では、その問題がどのような過程の上で生じたものか、それまでに至った過程について、できる限り把握、分析することが、その問題に
合った対策及びケアへの提供につながることを改めて学ぶことができた。
(2)家族ケアについて
ホスピスケアにおいて、「患者と家族は一つの単位として考え、ケアを提供する」とは常にいわれていることである。今回の参加課題に「家族ケア」を取り入れたのは、自分自身が家族看護には大変興味があってのことだが、私を含めて“なぜ今、家族ケアなのか”“私たちにとって家族ケアとは何か”を把握していない現実があったと考える。
私が勤務する緩和ケア病棟では、カンファレンスでも常に家族のことが議題に上がっており、おりに触れ家族と話をしている場面も見受けられる。家族ができるだけ穏やかな気持ちで患者さんの看取りができるよう、意識して関わっているのが分かる。しかし、一方では、患者を中心に考えるあまり、あまり面会に見えない家族や、冷たく接する(ように見える)家族に対して、憤りを感じたり、非難的に見たりすることがあるのも事実である。
今回、渡辺裕子先生や季羽倭文子先生による家族援助論の講義から家族発達論、家族システム論、家族対処論などにおいて、家族援助を理論的に学ぶことができた。よって、がん終末期にある患者を抱えている家族もまた、その機能を見失いつつも、修復、発達を図ろうとしており、ケアの対象とされる一つの集合体である、と認識できた。少子高齢社会において、家族に求められる役割も重複化の傾向にあると考えられ、家族の介護力の低下は、将来的にも回復の可能性は期待できないであろう。このように現代の家族の機能を考えると、患者への関わりと同様、親しい者を看取り、さらに成長を遂げようとする家族へのケアの必要性が理解できる。また、私たちが理論的に考えられるようになると、感情では片づけられない現象も、客観的に観ることができるというメリットがある。 以上のことから、家族に対するケアも重要視し、後手に回ることなく行えるようなケア計画の工夫が望まれる。今後の課題である。
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