対策としても、行政だけで、規制行政だけではもうなんともならんのだということに気がつきはじめたのです。いろんな方々の参加を得て、やっといろんなことが進むんだぞということにこの頃から気がつきはじめたのでございます。
もちろん環境問題全体が多様化したという中には、このころから地球環境問題、熱帯林の問題ですとか、酸性雨の問題ですとか、そういうことも多く問題になってきました。それから、自然環境の面では、野生生物の種の保存の問題がいろいろ起こってきました。私ども環境庁では、環境庁発足時に鳥獣保護課という、狩猟と鳥獣保護を担当してる課があったんですが、その鳥獣保護課というのがなくなりまして、代わりに野生生物課ということで、野生生物全体を対象にするような課に変更したのがちょうどこういう時期でございます。
1980年代というのは、まさに環境問題が多様化し、その対応も多様化した。特に大きいのは、住民の方々、各種団体の方々、そういう方々の参加が始まったこと、こういうふうな時代として位置づけられるんじゃないかと思っております。
それが、1980年代の後半、終わりぐらいから、1990年代の始め、ここら辺になってきますと、そういう動きの中で国際的な各種の動きが一段と強くなっております。世界中で大騒ぎしたUNCED、「環境と開発に関する国連会議」というのがあったんですが、あれは1992年、もう6年も前の話になってしまったわけです。地球環境保全ということが大きく取り上げられたのがそのときだったと思います。温暖化ですとか、酸性雨ですとか、そういうことがいろいろ問題になり始めたころです。自然環境の世界でも、生物多様性条約ができたり、世界遺産条約に加入したりしたときでございます。
このような中、国内的には何が一番大きかったかというと、環境基本法が成立しました。1993年のことでございます。その次の年、1994年には環境基本計画というものが策定されたわけでございますが、この環境基本法、環境基本計画、これらを通じて流れるキーワードが、共生、循環、参加、国際です。先ほどもちょっとふれましたが、多様化してくる環境問題、それと、それの対応そのものもいろいろ多様化しております。特にその中で重要なものとして、この参加というものがしっかりと取り上げられてきたわけでございます。
環境基本法、環境基本計画の策定を背景に、環境行政全体もいろんなことをこの当時から始めております。自然環境関係でいえば、生物多様性条約に基づく生物多様性国家戦略の策定が1995年に行われております。また、同じように、同じ年でございますが、「自然とのふれあいのあり方」という答申を私どもの自然環境保全審議会からいただいております。これは、環境基本計画において、生物多様性の保全と自然とのふれあいの確保、これが自然環境保全行政の2本柱だと、こう言われるようになっていたわけでございまして、その二つについて大きな方針を取り決めたわけでございます。
そして、この二つ、生物多様性ということと、自然とのふれあいというのは、私どもにかなり大きな変化をもたらしました。それまで、この22ページの表にありますように、行政というのは一つのことが縦に行われてきたわけです。自然保護の関係で見れば、この表は一番左が国立公園など自然公園を中心とした行政の流れ、次は野生生物の流れ、次は国際的な自然保護の流れと、大体縦線でこう流れてきているわけでございます。この1995年にできました生物多様性国家戦略、そして自然とのふれあいのあり方の答申、こういう中で、この縦線が全部横につながったということが言えようかと思います。ここでは、環境基本計画の共生、循環、参加、国際というキーワードが、この中に十分に流れておりまして、自然環境保全行政も、今まで分野毎に縦に流れてきたものが、ここで1回横に全体をつなげたというところが大きいんじゃないかと思っております。
もちろん、自然環境の分野だけじゃなくて、環境行政全体もその四つのキーワードの下でいろいろ統合されてきております。今は、多分、自然環境だ、大気環境だ、水質環境だということで、もう別々に行政を進める段階ではないというところにさしかかっているというように言えようかと思います。
そういうところにさしかかってきて、ここで、はたと今、気がつきはじめたのは、やっぱり環境問題は、根本として、もっと社会の仕組みを変える必要があるんじゃなかろうかということです。循環型の社会ですとか、共生型、環境保全型社会と、