『屋根の上の軽騎兵』というのが原題なんですけれども、日本では、なんと『プロバンスの恋』というように、全然違う、関係ないタイトルをつけられて公開されました。主演がジュリエット・ビノシュでございました。あんまりおもしろくなかった。でも、プロバンスの風景がふんだんに出てきまして、それなりの映画でございました。つまり、映画館の前を通ると、日常的のように、ジャン・ジオノの原作を映画にしたそういう作品がかかっているというわけでございます。
●レストランに入りました。そうすると、メニューにジャン・ジオノ風メニューが出てくるんですね。ジャン・ジオノという方は大変グルメでございまして、自分でレシピを残しているんです。ジャン・ジオノが書いたレシピを基にして、こういうレストランのメニューにまで挙がってると。「ジャン・ジオノ風喜びと共に」なんていうふうなタイトルのコース料理が出ておりました。川魚が主体のおいしい料理でございました。
●町並みでございます。
●ジオノが少年時代通っていた小学校が今も残っておりました。ジオノが若い時代に通勤しておりました銀行。今でも残っておりました。ここで両替をしょうと思ったんですけれども、1万円で両替しようと思ったら、そんなお札は見たことがないと言われました。
●道を通っておりますと、よくこういう風景にぶつかります。自動車のほうが降りて、よけなければいけません。
●バノンという村がございます。このバノンという村が一つの小説の舞台になっております。がらんとした人けのない村でございまして、老人たちがペタンクで遊んでおりました。
●ジオノが『木を植えた男』を書いた書斎でございます。屋根裏になっておりますけれども、ここで作品のほとんどを書いたというわけです。
●書斎のテーブルでございます。原稿がまだ残っております。右がガリマル社から出ております『木を植えた男』の原書でございますね。
●正面がジオノの墓でございます。プロバンスにふさわしいヒマワリの花を献花いたしました。
●ジオノの家がある、その裏側は山になっておりまして、モンドール山、黄金山という山でございます。その頂上でございます。中世の教会が瓦礫になっておりまして、壁の一部がこのような塔のようになっておりました。黄金山からのマノスク市街の全貌でございまず。左遠くにデュランス川が流れております。
●そして、何十年後にはこういう木になるかならないか。
この旅から帰ってまいりまして、こういった本をかみさんと共著で出しました。『木を植えた男を訪ねて。二人で行く南仏プロバンスの旅』、白泉社というところがら出しました。かなり告発的な文章も書いたのですけれども、こんな文章を書きました。「現在の日本は、木を植えるどころか、木を切り倒してばかりいる絶望的な国になっていて、自然の環境破壊はもちろんのこと、精神のほうも荒廃していて、見るも無残な荒れ地になっています。だから、木を植えなければいけない土地というのは、まさにこの国である。木を植えた男の物語を一番熱心に読まなきゃいけないのは、世界中で日本であり、日本人であることがよくわかりました。日本人の心の荒野に、今こそ哲学の木を植えなければいけない。私はしみじみそういうふうに思いました」と書かせていただきました。
最後にこんな言葉をご紹介したいと思います。中国の古い言葉ではないかと思うんですが、文献もよくわかりません。「前人木を植えれば、後人涼し」。意味は説明の必要もない、単純にして明快だと思います。「前人木を植えれば、後人涼し」。ナショナル・トラストの精神もこのあたりにあるのではないでしょうか。われわれが今森を守れば、21世紀の子どもたちが喜ぶというわけでございます。
本日は[木を植えた男を訪ねて」と題しまして、皆さんに環境映像と環境文学の世界の一端をご紹介いたしました。ありがとうございました。(拍手)
【司会】日本のジャン・ジオノとしてのお話をありがとうございました。今日、お話にも出ました奥様の新井紀子先生がホールにお越しくださっておりますのでここでご紹介申し上げます。(拍手)ハイジのような生き方に憧れを抱き、作者ヨハンナ・シュピーリに関心を持たれました。ご夫妻でお作りになりました写真文集『ハイジ紀行』も出版されております。また全五巻のビデオ『素敵なハーバルライフ』も発表していらっしゃいます。ありがとうございました。(拍手)