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2万本の半分はやられるだろう。男はそう予測していた。それでも1万本のカシワの木がそこに根付くことになる。以前は岩と草ばかりの不毛の地だったというのに」。
(映画「木を植えた男」の上映終了)

 この物語がなぜ感動的なのでしょうか。やはりエルゼアール・ブフィエという人物像が魅力的なんですね。そして、その生活ぶりでございます。見事なシンプルライフでございます。あらゆる贅沢を断念した果てに、本質的なものにのみ向き合って生きている人間の大変自信に満ちた、そして誇りに満ちた、そういう生活ぶりでございます。どうでもよい余計なものはすべて引き算をしてしまった、引き算的なライフスタイルです。

 こういう人物像はアーチストにはときどき見かけます。作家とか、画家とか、いわゆる芸術家肌の方々ですけれども。しかし、アーチストには、往々にして自分勝手なところがございます。あるいはエゴイズムのかたまりのような人々もおります。しかし、ブフィエは、エゴとかおごり、自分勝手さは全くないんですね。もっと求道的なところがございます。アーチストというよりは、むしろ宗教者の風貌がございます。例えば、アッシジの聖フランシスコとか、キリストとかモーゼとか。でも、ちょっと違うかなという感じもいたします。そういうヒロイックな宗教者というよりは、もっとこう、何といいますか、こつんとひそやかな、控えめに生きたような宗教者はいないだろうかと。で、あれこれ想像いたしました。そうだ、あの人が近いなと思ったのは、良寛でございます。ブフィエは、もしかするとプロバンスの良寛さんのような人だったんじゃなかろうかというふうに思うわけでございます。

 この物語を初めて読んだときの感動は相当なものでございまして、何度も繰り返して読みました。作品が好きになりますと、作品を書いた作家は一体どんな人間なんだろうと気になります。ジャン・ジオノという人物はどんな作家なんだろうと。どこに生まれて、どんな人生を送って、今はどこで眠ってるんだろう。大変気になって、ジャン・ジオノのことを調べました。ジオノはフランス人でございまして、南フランスのプロバンスの大変小さな町なんですけれども、マノスクという、ほとんど観光客が行かないような、そういう町に生まれて、生涯をそこで過ごしました。『木を植えた男』の作者を訪ねて、プロバンスへ行きました。3年ほど前のことです。ジャン・ジオノという人物はこんな顔の作家でございます。ちょっとご覧ください。
(フランス語によるジャン・ジオノのビデオ上映)

 ジャン・ジオノは1895年、20世紀まであと5年という年に生まれました。そして、亡くなったのは1970年でございます。75歳まで生きた方でございます。『木を植えた男』の原稿を書いたのは1953年でございます。ジオノは日本ではあまり知られていない作家ですが、フランスでは大変高名な作家でありまして、一時はノーベル文学賞をジオノにというふうな声も挙がったほどでございます。日本の作家でいいますと、宮沢賢治に近いんじゃないでしょうか。宮沢賢治は1896年、ジオノとは1年遅れて生まれております。賢治も岩手県の花巻というところに生まれて、ずっと花巻で暮らした方でございます。ジオノはフランスの宮沢賢治みたいなところがあるんじゃないかなと私は思っています。

 では、スライドで、3年前に私、かみさんと一緒に、この『木を植えた男』を書いたジャン・ジオノのふるさと、マノスクを訪ねてまいりました。プロバンスの風景をたくさん写しましたので、きょうはその一部をご覧いただきたいと思います。では、スライドをお願いします。
(以下、●スライド)

●マルセイユが地中海岸沿いにありますけれども、マルセイユから北のほうに、そうですね、3、40分行ったところですね。これは、あの有名なサント・ビクトワール山です。セザンヌが生涯で何十枚も同じ絵を描いたという山ですけれども、山肌に緑がございませんね。大体こういつた土地柄で、プロバンス特有の山の肌はこういつた感じであるということがおわかりいただけると思います。

●だんだんプロバンスの、マノスクへ近づいてまいります。これは、プロバンス地方の典型的な集落でございますね。

●これは、ウシの放牧、今度はヒツジでございます。なぜプロバンス地方へ行きたかったかといいますと、私の奥さんが、先ほどご案内をしていただきまして、大変、かみさんのことまで紹介されて恐縮でございましたけれども、東京農工大学というところでブタの飼育とか、ヒツジの飼育とか、

 

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