小さな教会の横にある建物ですが、藁葺きの家であります。もう倒れそうになっていたのを当時のお金で1ポンドで買い取ったといいますが、ただでもらったようなものです。しかし、その修復にものすごくお金かかかるので、特別なアピールを出して募金運動をやりました。
それから自然環境としては、ウェールズの西海岸にディナス・オライという崖地があります。それを所有していたタルボット夫人という方が、都市化で自然が失われていくというので、ナショナル・トラストに寄付されたわけであります。オクタビア・ヒル女史はその最初に受けた自然海岸を見て非常に喜んで、これは素晴らしいと、しかしこれは初めにして最後じゃないかというふうに手紙に書いています。非常に嬉しいんだけども、本当にこれからこういう寄贈か続くんだろうかという不安の念も書いております。
しかし、その後募金は少しずつ進んでおりましたが、1907年になりましてイギリスの議会は、国民がこうして自分たちでお金を出し合って国土の環境を守ることは真の意味の祖国愛だと評価して、ナショナル・トラストに対して資金的な援助はしないけれども法的にサポートしようということで、ナショナル・トラスト法を制定し、国民が国民のために国民の誇りとすら環境を守るための組織だということを法的に確認し、あわせてこれに譲渡不能の特権を与えるということにしました。「特権」というかあるいは「権限」と言っていますが。ナショナル・トラストが国民の寄金によって買い取った資産、自然や歴史的建物、そういうものはこれを将来にわたって売り飛ばしてはいけないと。これは当然のことですが。それからまたそれを抵当に入れて借金をすることを許さないと。さらに、政府といえども議会の同意を得なければ、そこに対して強制収用をかけることはできないという譲渡不能、永久保存の原則を認めました。それ以来、国民は安心してナショナル・トラストヘ寄付するようになりました。
この譲渡不能の原則というのは非常に強い原則で、最近でもイギリスではこれを巡ってナショナル・トラストと開発側とのやり取りかあります。例えばスコットランドのナショナル・トラストでは北海油田の精油所を建てようとした所が、海岸ですが、スコットランドのナショナル・トラストの所有地てありました。議会でも大問題になりました。しかし、これだけはイギリス経済再生の拠点だというので、前例にしないということで精油所が建てられました。その他ウェールズでは陸軍の、地下で人工衛星を追跡する施設を造るというものに対して、地下の施設だから環境をあまり害さないだろうということでナショナル・トラストの本部は認めたんですが、たくさんの会員がいますから、会員の中からやはりそれを建設する時にトラックが来るし、いろいろな形で開発の影響を受けるから、簡単に認めていいのかと異論か出され、これは総会を開いて票沢をし、改めてそれを認めるということになりました。最近ではイングランドの南の方に詩人のテニスンなどか住んでいたところかあるんですが、そこの歴史的な地域に道路を通すということで、今でも譲渡不能の原則を巡って論争が続いております。
さらに議会は、1931年には、税法を改正して、ナショナル・トラストヘ寄付した人は、その寄付した分をその年の所得税の対象から控除すると、あるいは法人が、会社が、たくさんの金をナショナル・トラストに寄付した場合は、その分をその年の損金扱いとして法人税の対象から控除するというふうにしました。これかきっかけになってナショナル・トラストに対する寄付金が増えてまいりました。しかし、そうこうするうちにも、例えばカントリーハウスという、昔の領主が住んでいた家などが相続税を支払うには日本と同じですが、やっぱり処分しなければお金か払えないということで、これが売りに出されるというケースが多くなったんです。ナショナル・トラストはカントリーハウス・スキームという特別なアピールを始めて保存運動に立ち上がっています。また、税制の改正がありまして、そういう広大な敷地のあるカントリーハウスなどを寄付した場合は、子々孫々その建物の一画に住むことができると。2代目までは無料で、3代目からはテナントで家賃を払うということになっています。
その他、例えばチャーチルが住んでいた家がロンドンの南の方に、1時間ほどバスで行ったチャートウェルというところにあります。そこではチャーチルが気に入っていた屋敷で、昔のカントリーハウスなんですが、彼は自分が死んだらここをナショナル・トラストに寄付すると宣言します。そして第二次世界大戦を勝ち抜いた後は、