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経済学者は「市場の失敗」(マーケット・フェイラー)と言います。市場経済にゆだねれば全てうまくいくのではなくて、例えば環境問題は市場経済にゆだねると失敗する重要な例だというので、マーケット・フェイラーという言葉が使われています。

 地球全体として近代社会を作った時に、何か大きな安全保障機構の間違いがあった。それが環境倫理学の最も基本的な主張です。環境倫理学第一の原則は「地球生態系という有限空間では、原則としてすべての行為は他者への危害の可能性を持つので、地球レベルでの公共財への責任が成立する」です。ただより安いものはないというのは嘘だということです。例えば石炭を掘る時に、これは元々誰のものでもないですから、掘った人はだだで自分のものにしていいというのが資源の基本的な考え方です。

 ところが掘った後の地球はとる前の地球よりも悪くなっています。ですから地球をただで使っていいんじゃなくて、減価償却費を掘った人は積み立てなきゃならない。資源とは減価償却費を積み立てる必要のないものだという考え方は、地球が無限でないと成立しません。地球全体が有限だという建前だと、掘った分については減価償却費を積み立てなきゃならないし、大気圏にものを捨てれば、捨てた分の費用を積み立ててその後で浄化費用に充てなければならない。

 今一番大きな問題の廃棄物は原子力発電所の高レベル廃棄物です。テレビのニュースでガラス固化体の大きな絵が映ったと思うんですが、ばかでかいドラム缶みたいなものが熱を出していますから、最初は離して置くんです。冷ましたら距離を置いた形で穴に埋めます。片側が2キロの正方形で、深さが1,000メートルという穴を掘って、置いていく。

 私が問題にしたのは、1000年間安全保障をしないと危ないということです。「危ない」って書いて1000年間もつようにしょうとしても言葉が分かるでしょうか、エジプトのピラミッドの研究をやっているイギリス人に聞いたら、1000年たっても通用する言語を開発しようと提案してくれました。

 東大工学部の先生が計算したところ、1000年大丈夫な方法があるって言うんです。その先生は非常に真面目な人で、絶対嘘をつくような人じゃないんです。その先生が大丈夫だって言ったって、1000年なんて信用できません。だってニュートン力学が出たのが1687年ですよ。近代科学はせいぜい300年ぐらいしか年季が入っていないんです。だから最高の知識人で最高の技術者が金属の性質について最高のデータを用いて予測しても、その科学全体がせいぜい300年ちょこちょこの年季しか入っていないわけです。

 人類が今、1000年先の人類に被害を与えるようなことをやっているわけです。例えば景気が悪くなった。金を借りてみんなでその金を配って使えば景気がよくなるじゃないかというけれども、誰から借りるかというと、未来人から借りるのが一番いい。現代人に貸してくれって言えば「いやだ」と言うかもしれない。保証人を誰にする、なんて言われても困る。未来人から金を借りるのが一番いいわけですから、その代わりに国債を発行して、その金を今使ってしまうわけです。

 未来人は文句を言わないけれども、資源が枯渇するとか人間の住めない地域が増えていくとか、廃棄物が累積していくのは、未来人に借金するのと全く同じことです。我々のルールのどこに間違いがあったかというと、未来人の承諾を経ないでも現在人はものを決めることができるってことに問題があったわけです。私のルールで言うと「資源の枯渇、廃棄物の累積を避け、未来の世代の生存条件を保証する責任が現在の世代にある」。未来の世代の生活条件がなくなっても文句は言えないという構造の中に、我々の近代社会のルールの欠点があったと考え、それを世代間倫理の欠落と環境倫理学者は言うわけです。

 我々は人の持ち物は大事にしますよね。我々が法律という他人のものを大事にする仕組みを作って、それでお互いに人のものを勝手にいじったり壊したりしないで、財産を守ったり身体を守ったりしているわけです。法律が守ることのできるものは全て「私の服」とか、「会社の土地」とか「誰々の何々」という構造を持っている。この「誰々」は、やせても枯れても人類でなければならないことになっています。

 例えば私が、隣のおばさんの猫が自分の部屋へやってきたのでひげを切ってしまったとすると、猫が私に損害賠償を請求するんじゃなくて、おばさんが私に損害賠償の請求をする。

 

 

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