自然の美しさ、そしてそれに対する知識、人間、自然、そして生死、それから次の代、先祖ずーっとつないでいるということを意識した、そういう中での命の楽しさというものが何か人間の本性、これが本性じゃないかというように思うわけです。
●こういうふうな時代をずっと通っているうちに、だんだん人間は自然を少し客観的に見るようになりました。紀元前5世紀、あるいは6世紀あたりに、世界のあちこちでいろいろな宗教の基になる自然観・宇宙観というのが出てまいりましたが、その頃のこれは一つの例として、エンペドクレスが紀元前の5世紀に宇宙の中で一番大事なものは何だろうと。それは空に輝く太陽であり、その辺を覆っている青々とした海であり、そして大空の空気と、緑したたる大地であると。その四つに囲まれた中でいろいろなものは、人間も含めて自然も全部愛と憎しみというような関係をもちながら、その中でドラマが描かれている。それが大自然と人間と全体の、先ほどお話がございましたいわゆるシステムというような概念が生まれました。
●それから100年ほどの間に、それがだんだんにサイエンスの自然科学の基になってまいりました。アリストテレスの頃には、それを四つの元素として火と水、それから空気と土と。しかもアリストテレスの大きな業績といいますか影響力を持ったのは、例えば火はそこにありますように乾いてきて熱い。水は湿っていて冷たい。土は乾いてきて冷たい。空気は暖かくて湿気があると。こういうふうに四つの元素を四つの性質でつなぐとお互いに循環するという思想をアリストテレスが始めました。これが紀元前4世紀です。
ちょうどこの頃に、中国では陰陽説が出ています。全てのものは陰と陽があって、しかもそのエレメントとして五行説、木火土金水の陰陽五行説というのが中国では起こりました。しかし、これはギリシャのこういうふうな四元素説とは違いまして、全体を気というもので包んでいると。これが日本にまいりまして、長い間、2000年の間、一つの宇宙観、自然観のあれになったんです。
このアリストテレスの考えはやがてルネッサンスの近づく頃に自然というものを見る新しい目、そういうものを生むところまでずっとつながるんです。ここに持ってきた写真は、これはイタリアのフィレンツェの少し南の方のトスカーナの丘の写真です。この丘の上に、あちこちに教会がある、あるいはお城があります。
●その辺によく行っておりました。一つの小さな教会の壁にこんなことが書いてありました。「ヒンク・デュース・オモ、アテク・オモ・デュース」。これは非常に簡単な言葉ですが、大変なことが書いてある。「ここで神は人となり、しこうして人は神となる」と。教会の壁にこう書いてあった。これは13世紀ぐらいの教会なんです。
●ここでずっと、先ほど言ったアリストテレスから一つの固定した自然観あるいは価値観、人間と自然という考え方が、今度はヨーロッパでは特に聖書の中に組み込まれた。それはもう自由に別の考えをしてはいけないというような恰好で中世の間ずっと来て、そこで今言ったように、「ここで人は神となり、神は人となる」と。もっと自由に考えようという空気が出てまいりました。
●そういう空気を精一杯身に受けて一つの仕事を始めたのはコペルニクスです。これは皆さんよくご存じの太陽、地球、天体、そういうものをいろいろ考えているうちに、古代ギリシャには、太陽を中心に置く人もあり、地球を中心に置く人もあり、いろいろなシステムの中で星の運行、天体の動きをどういうふうに考えたら最も整然といくのかという議論があったのに、この中世は、ずっと一つの考え方に固まっていると。改めて考えて、それがコペルニクスの書いた『天体の回転について』です。言い換えますと、それまで地球中心で他のものが回っているという考え方に対して、太陽を中心に回転させた。
●前にクラークの大学で、あれは彼の母校になるんですが、そこで保存している、コペルニクスの手で書いた問題の書物の原稿を見せてもらったことがございます。
●こういうふうな考えがなかなか、コペルニクスも今これを出版したら大変だということで、親しい者の間ではそういう考え方の話をしていたんですが、彼はついにもう命がなくなる、体も弱ってどうにもこれはやはり本にして出したらいいじゃないかと友だちに勧められて書いたのが、1543年。ここから新しい自然観というのが生まれてまいりました。