私もケミストリーですから、その分析方法や、いろいろな最先端の分析装置を使って今申しましたような話を裏付ける実験が行われていることが分かりました。それを見ますと、花粉とか虫とかあるいは小さな動物なんかで、いつ頃に地球が暖かくなって、また寒くなって、また暖かくなったかという、いろいろな自然系の変化もわかってまいります。
そういうふうな氷河が溶け始めた頃、これは今から2万年ぐらい前と、あるいは1万5000年ぐらい前ですが、その頃からだんだん人間の生活、人間の生きた印がこの地球の上に残ってまいります。日本でこの辺で言えば一番近いところでは石山の貝塚というのが考古学的に有名ですが、縄文文化のごく初期の瀬田川のシジミの貝、その他がたくさん大量にある。あるいは安土の遺跡、あるいはずっと湖北の方へ行きますと醍醐の遺跡がございますが。縄文文化の初期から中期にわたってこの辺が東から来た文化と西から来た文化の交錯点である。やがて今度は湖南の方から弥生の文化が出てまいります。
そういうふうなことを考えますと、大きなタイムスケールの中での自然、地球というものと、その中に生まれてきた人間、そして人間の文化、そして今日先ほどの吉良先生のお話にもございました、そういうふうな変化、これは非常に急激な、今の何万年前、あるいは何百万年の話をしている中でほんの数百年の間に、この地球の環境というのは人間によって大きく変化をしている。
では、最初のスライドをお願いいたします。
(以下スライド)
●これは、学術探検隊がずっと何十年行ってその時その時に報告書を書いておられる写真の一つですが。チリの南の方のパタゴニアの氷河の一番先にある末端湖のところです。大きな氷河が、何百メートルもあるような大きな氷がばたっと落ちて末端湖に入りますが、その中にはすぐその周りにいろいろな草が生えて、そこには虫が来たり鳥が来たり、その外側にはまた動物が来たり。ちょうど先ほど申しました2万年前ぐらいに地球が暖かくなって氷河が溶け始めた頃の、こういう景色が地球の上のあちこちにあったと想像できます。
●ちょうどその頃に、あちこちにいろいろな洞窟の中に壁画が残っているのもこの2万年から1万5000年、1万年ぐらいのこの間なんですが。これは40年ほど前に私、ラスコーへ行っておりまして、ラスコーで撮った壁画ですが。この自然の中に抱かれて洞窟の中で。ラスコーの洞窟というのはボルドーの方へ注いでいる谷が何本もある谷間に、横に洞窟が空いております。その頃は入り口に何もなくて、ちょっと小さな小屋が建っているだけですが、入っていくと足下に水が流れて、奥へ入ると急に大きなこの洞窟が開けまして。壁にありとあらゆる色を使った素晴らしい躍動的な動物の絵が一面にあります。
●その一番奥に、ちょっと他の部屋とは違った小さな部屋がございました。そこで初めて私は不思議な絵を見ました。動物の絵はいっぱいあるんですが、人間の絵はほとんどないんですが、そこに牛の前で倒れている人らしいものがあって、その前に何か棒の上に鳥がちょっととまっているような絵がございます。これは牛のお腹が、内臓が出ているような絵がございますが、たぶんその洞窟の中で、人間はとてもあんな大きな動物と狩りをするというようなまだ道具もございませんので、動物同士がけんかしてよたよたになって死にかけたところへ今度は人間が行って、食べるものをとろうとしたら、まだ元気が残っていてぼん、とやられてしまったんじゃないかというような想像もできますが。その中に、その部屋の雰囲気を見ますと、本当に生と死といいますか、祈りの部屋という、いまだに非常に神聖な雰囲気が残っております。
●その部屋の床にもいろいろな石で作ったものがまだそのまま残っておったんですが。これは石のランプです。これは非常に、あまりにもきれいな形をしておるので写真を撮りました。この中のへこんだところに動物の油を入れて、そこに草の軸みたいなものが刺さっていて、それが灯心のようになって灯しながらいろいろなあれを。こういうふうなランプはもう何十とその辺にございましたが、これは特に美しい形をしております。
●こういうのを見ている時に、1万50OO年、あるいは1万年前、自然の中に抱かれた人間というのは、単に生きるためにだけ生きていたんじゃなくて、ああいうふうな絵を描いたり次の次代に伝えるものを伝えたり、あるいは命の大事なこと、そういうものをじっと蓄積していく。私はよくこれを「美と知を楽しむ心」というように表したいと思うんですが。