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知的障害者福祉研究報告書
平成6年度調査報告  〜精神薄弱者福祉研究報告書〜


第1章 わが国における知的障害者福祉の歴史的展開

1. 入所型施設福祉の発展

(3)昭和30年代

昭和30年代にはいると、戦後の復興も軌道に乗って、社会状況も一応の安定を見せてきた。それとともに、精神薄弱児施設への入所児童も戦災孤児ではない「家庭」からの児童が徐々に増え始めてきた。
そして、この当時施設数、定員数は飛躍的に増加している。

●精神薄弱児通園施設の設置(昭和32年)
それまでの精神薄弱児施設は、衣食住に欠ける要保護精神薄弱児の保護を目的とする収容施設だけであったが、昭和32(1957)年、家庭から施設に通って訓練が受けられる精神薄弱児通園施設が児童福祉法の改正により新設された。
これは、昭和30年代当時の養護学校や特殊学級という障害児学級は軽度児中心のものであったため、それ以外の重度児の対応について要望が高まっていたことを背景に設立されたものである。

●重度者への対応と医療の参加
高度経済成長とともに福祉予算は増加し、それまでの精神薄弱児者施設では処遇が困難であった重度精神薄弱児者のための施設が充実し始めた。
昭和33(1958)年には、重度児処遇を旨とする国立秩父学園が創設されて、盲障害やろう障害に伴う重度重複障害児の処遇が始まった。
昭和39(1964)年には、児童福祉法による精神薄弱児施設に重度精神薄弱児収容棟が設置され、また昭和43(1968)年には精神薄弱者更生施設にも同じく重度棟が設置されるようになった。
昭和36(1961)年にはいわゆる重症心身障害児施設に対する国庫補助が交付され、島田療育園と秋津療育園の2施設が誕生した。
この時点以後、全国各地の国立療養所に付属施設として重度心身障害児施設が増設された。このようにして精神薄弱児に対する入所型施設処遇の体系は軽度児処遇から始まって、次第に重度児処遇をも包含する形で進展したが、昭和45(1970)年に最重度児の国立高崎コロニーが開設されるに及んで、入所型施設処遇における重度化体制は一応完了したかたちとなる。

●精神薄弱者福祉法の制定(昭和35年)
●精神薄弱者援護施設(昭和35年)
・精神薄弱者更生施設
・精神薄弱者授産施設
昭和35(1960)年に精神薄弱者福祉法が制定されるまでは成人した精神薄弱者が入所できる施設は生活保護法による「救護施設」しかなかった。このため、児童福祉法による精神薄弱児施設に在所している児童は満20歳に達すると、生活保護を受給している低所得の家庭の児童以外は全て家庭に引き取らざるを得なかった。
そのような状況の中で、全国精神薄弱児育成会は昭和33(1958)年に精神薄弱者福祉法の制定要請を行い、また教育、福祉関係者からの声も高まり、昭和35(1960)年に精神薄弱者福祉法が制定され、精神薄弱者援護施設(昭和42(1967)年更生施設と授産施設に分類)が設立された。


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