「同時代的基準」は、地方自治体の社会サービス委員会によって決定される。資源はニード評価の助けにはならないが、提供されるサービスについての金銭的限界を課すことは出来る。グロースターシャーのサービス適格者基準には、どこにも資源について言及していないことが指摘されている。
ロイド卿が強調しているように、人為的な適格者基準のつり上げは、1970年のCSDP法を議会が承認したときには意図していなかったものである。同郷はまた、「ある個人の妥当なニードは、地方自治体に対しそのニードを満たす能力への配慮を求める」ということを受け入れていない。別な言い方をすると、地方自治体は資金中心でなくニード中心の判定をすべきだということである。
グロースターシャーの法律家たちは、判定には「全ての関連状況」を斟酌すべきで、議会の資金は関連状況の一つであると主張した。ロイド卿から見るとこれは、地方自治体の資金は個人には手が届かないと言うのと同じくらいに誤ったものである。
それにも関わらず、ロイド卿の判決は3対2で却下された。判決主文は以下の通りである。「…地方自治体は1970年のCSDP法2(1)項においてニードの評価または再評価をする場合は、資源を勘案してよい」。
法律の言葉を用いれば、判決は以下の人々に影響を与えている。
(1) 感覚障害を持つもの
(2) いずれかの種類の精神的障害のあるもの
(3) 病気、怪我、先天的奇形等によって実質的にまた永続的に障害を有するもの
適用されるサービスの種類はホームケア、住宅改造、配達給食である。
判決の意味するところは以下の通りである。
(1) 地方自治体はその資金に照らして適格者基準を決めることができる。この予算より少ない資金を配分したり、サービス供給量を予算に合わせるために適格者基準を厳しくできる。
(2) もしこれが実施されれば、公式にはニードに満たないことは今後起こりえないことになる。真のニードは隠蔽される。
(3) しかし、地方自治体はいまだに個人を評価し、サービス提供に関して個人的決定を行わざるを得ない。地方自治体が再評価なしにサービスを削減したり、ある種の人にサービスを提供しないと決定したりすれば、違法行為となる。
(4) しかし、地方自治体は責任ある行動もとらねばならない。もしそうしなければ、法的係争にさらされることになる。例えば、サービスがないと生命の危機に瀕する人にニードは無いと評価するような適格者基準を規定することは、論議上不合理である。
(5) もし地方自治体が誰かにニードがあると判定した場合、自治体がニードを満たすことが必要であると納得したら、依然として自治体はそうする義務を負う。地方自治体がこの結論に達した際に勘案できることは、未だに明確ではない。
コミュニティケアの資源不足は、今や明らかに茶番劇である。我々に障害者としての権利があるか無いかのいずれかになる。ロイド卿の言葉によると、「解決は政府次第である。1970年のCSDP法の成立は高貴な願望であった。最後まで意図するところを貫徹するなら、議会はその手段を提供することを求められるに違いない」
CSDP修正法案は、地方自治体はこの法の下でサービスのためにニード評価をする時、資源を勘案してはならないと、至って簡潔で単純なものである。この法案は議会を通過しないだろうと見られている。本法案は、インターネットで見ることができる。
http://www.parliament.the-stationcry-office.co.uk
*注1 上院のこと。ここでは原文通り貴族院としておく。