にあたる人がいてその管理下に障害者がいる。その人たちは少数であるのに、施設専門職の研究が発表されているがために障害観が規定されてしまっている。ケアは、現在の中心的な障害者観に基づいているが、これは専門家が接触している少人数の障害者の基本的なニードを満たすという概念に基づいたものだ。
このプロセスが進んでいくと、専門職にケアされている障害者は、ケアされたくないと思うようになり、専門職と障害者の間に対立が生まれる。専門家が研究を深めるために全てのことをやりたいと考えると、障害者の自己管理能力が無視されることになり、対立は避けられない。そのような形で専門家と対立した障害者と地域の大多数の障害者が団結して、自分たちは管理下におかれることを望んではいないという運動になったのが、現在の英国の運動だ。
昔は、物乞いという形で道で障害者を見かけた。しかし今は道で障害者を見かけることはなく、障害者は孤立してしまっている。専門職のプロセスが発展するにつれ、孤立化の度合いは深まった。途上国では、障害を持っている人たちが物乞いをする光景が見られるが、その国の政府のとっている政策は100年前の英国のものと同じである。
(2) 地域から施設へ、そして規制されたコミュニティケアヘ
専門家たちが訓練を受け、その技能が専門的・効率的になる。国は多くの施設をつくり専門家が増える。障害者1人に対して専門家が複数関わるようになる。
段階として考えると、
1] 地域のなかで家族が介護していた時。(何の考えも技術もない、と思われている)
2] 施設ケア
3] 施設から地域へ
施設におけるケアの考え方や技術が、地域で用いられようとしている。施設のセッティングが地域で使われ、もともとの地域の中での技能が全く無視されてしまっている。例えば、家族と同居している脳性まひの人で歩けないという場合に、スロープをつくる段階で家族の技能が発展する。これは、地域で家族がケアするための技能といえる。しかしコミュニティケアが発展していくなかで、施設的な概念がコミュニティに導入され、自然に発展した技能が全く無視されてしまった。1]2]3]の流れは英国に限ったことではなく、また、医療や福祉の分野でも見られることだ。ケアやサポートはもともと自給自足であったのが、集団で社会的に設定されたなかで行われ、人々はグループで扱われる。これが福祉国家であり、福祉国家が崩壊するなかで障害者は施設から地域へ戻ることになった。
施設から地域へという3]の段階には、問題が存在する。施設から地域に戻るといっても元の状態の地域に戻る訳ではない。地域では一般の人々によるボランティア的なサービスが失われ、施設で確立された概念を基盤とした専門家によるサービスが確立されている。