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3 ケアの歴史的考察

 

例えば花がきれいだと思ったら、その花が造花だったとする。障害に関しても似たようなことが言えるのではないか。

ほとんどの人にとって、障害者が不利なのは損傷が存在するからという明確な理由がある。そして、身体的・精神的な欠陥があって十分に機能しないからケアの必要性があるということになる。私たちイギリスの障害者運動は、そのような理解に立って基本的な問い掛けをしてきた。なぜ我々は社会の中で劣っていると思われるのか。簡単に言えば、障害者には損傷や不完全さがあり、できないことがあるから、結論としてケアが必要ということになる。しかし、社会的に劣った立場におかれているのは、機能が不完全であるという他に理由がある。そうすると、ケアが必要なのも他に理由があることになる。コミュニティケアでは、障害とは何かを仮定したうえで政策がある。私たちがその仮定を問題にしないでコミュニティケアを前回きに受け入れることには、基本的な問題がある。以降では、その一連の問題を提起したい。

 

(1) 施設ケアのなかでつくられた障害者観

歴史を遡って考えると、障害者は地域で暮らし家族や友人がサポートしていたのが、施設に移される過程が生まれ、新たに専門職が出てきた。地域にいた時には、その地域やサポートしていた人たちが、障害者が生きるのに必要なサポートの技術を発展させてきた。しかし施設に移され、そうでない環境のなかでサポートするという別のサービス形態がつくられた。地域では友人や家族のサポートを受けて、そこで自分の生活のコントロールができれば問題はなかった。できない場合に(重度障害者の場合がそれに該当したのだが)、施設がつくり出されてきた。つまり、重度障害者のサポートは、専門職の理解が基本となっているのである。

歴史的、家族的なケアは自発的なものであり、研究されてきてはいない。しかし、専門的なケアの方法、つまり施設でのものは、国が好んで財政的支援をしてきており、研究や文献も多い。障害者に対する理解は、そのような研究が多くある施設ケアの方法におけるものでしかない。専門職は施設のなかで発展した。徐々に専門化が進んで、専門職は障害者のために専門的なサービスを提供したがるようになり、障害者は何もできない人ということになってきている。

つまり、障害者の概念というのは、施設で行われているケアの方法と深く関連している。大半の障害者は地域で暮らしていて人生を自分で管理しているが、居住型の施設ではケア

 

 

 

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