をしているので、仕事を取られるのではないかという恐れもあった。私たちはこの点について労働者側と今も折衝中である。行政側の態度や恐れは、障害者のキャンペーンを通し、1〜2人のリーダーだけではなく多くの人が関わることによって、払拭することができた。
法律化するきっかけは、アメリカのバークレイで既に介助者を雇って同様のことを実践しているという情報を持っていたことにあった。1987年には、ヨーロッパの40ヵ国から自立生活をしている人々が70人ほど、フランクフルトに集まった。自分たちが障害者として介助者を使って自立生活をしているという事実の重要性を訴えて会議は終わったが、このキャンペーンに世界の多くの人が参加しているのだという大きな力を感じ、私たちの運動は盛り上がった。
帰国してからいろいろと働きかけた結果、たった一人の議員が我々の考えに賛同し、コミュニティケア法改正のために動いてくれた。彼は与党に属していたので、政府にも働きかけた。1992年には、障害者が介助者を雇って生活する場合のコスト・ベネフィット(費用便益)の研究のための資金助成を受け、その成果を発表した。民間の研究者に委託したため、一層認められることになった。この研究により、伝統的な施設でのケアを受けている場合と、地域で障害者が直接給付を得て暮らす場合の経費の差が30%もあることが明らかになり、行政を動かした。しかし、私たちにとって重要なことは、経費の節約より、もっと自由な生活が営めることにあった。
法制化を進めるにあたり、政府と多くの交渉を重ねた。その結果、法律を見直す委員会に私たちの代表としてジェーンを送ることも出来た。一般的に、サービスを受ける側が委員会に加わることはなかったので、これは重要であった。法律は通過したが、要求が全面的に通ったわけではない。しかし、以前の状況から前進したことは評価される。法律は1年前(1996年)の7月4日─アメリカの独立記念日の日に成立した。