1 制度創設まで
(1) ひとりの障害者の手紙から
コミュニティケア(ダイレクト・ペイメント)法は、施設や家庭で閉じ込められた状態ではなく、地域で自立する必要性を訴えた、30年間にもわたる長いキャンペーンの成果である。このキャンペーンは世界の流れとも合致したもので、長いこと施設に暮らしていた人たちが、施設暮らしをやめて地域に出て行くことを模索していたその一部にあたる。
1970年代の終わりにハンプシャー州の養護施設にいた若い障害者の人たちが、なぜ自分たちはこんな所に閉じ込められているのか、なぜこのような面白くない生活をしなければならないのかを話し合った。そして、地域に出ていくために施設で使われる経費が直接自分たちに支給されないか、討議した。
この時代、施設にいて発言していくことは難しかったので、あえて問題を投げかけた彼らの勇気を讃えたい。まずその筆頭に挙げられるのが、ポール・ハントである。彼は重要な手紙を書き、ガーディアン紙に掲載された。その手紙がもとになって、障害者のネットワークができた。英国の障害者運動で重要な位置を占める手紙である。
ポール・ハントが投稿した手紙
重度の身体障害者は、気がついたら隔離された不適当な施設(*1)のなかにいて、そこでは彼らの意見が無視され、権威主義者や往々にして残酷な制度に支配される。
ワークハウス(*2)の後継者である施設の、現実の、そして潜在的な居住者の意見を全国的にアピールしていくために、消費者団体の結成を私は提案する。(*3)
〔ガーディアン紙、1972年9月20日〕
*1 ポールの場合は、レオナード・チェッシャー財団が経営する居住施設の一つであるハンプシャーのLe Courtに住んでいた。
*2 18世紀に貧しい人を何もサービスがないまま単に収容していた所
*3 彼の記事に共鳴した障害者(その多くが施設に住んでいた)を集めてUPIAS(隔離に反対する身体障害者連合)という障害者の運動体が作られた。ビック・フィンケルシュタイン氏(第4章の講師)も創設メンバーの一人である。
この手紙は力強いものであった。もちろん施設側の怒りを招いたが、障害者は興奮してこれを歓迎した。障害者自身で現状を打破しようとする試みが受け入れられたのである。その試みのなかでも有名なものが、プロジェクト81─1978年にニューハンプシャー