ヨーロッパ系のグレインをつくっている国々は一体どうしているのだろう。穀類の生産は、気候によって大きく振れるわけです。振れても一向に平気なような仕組みがどこかにできているのだろうか。私はそのことが極めて不思議でしょうがないのです。
一昨年、トウモロコシの生産が落ちたことがあって、シカゴのトウモロコシの相場が急騰したことがございました。ご記憶の方もいらっしゃると思います。そのときに一番儲けたのはだれかというと、アメリカの生産者だったわけです。アメリカの生産者が一番儲けた。在庫のトウモロコシを高い値段で市場に出して大変儲かったわけです。彼らは生産過剰になれば、在庫しておくわけです。ですから、豊作であろうが、凶作であろうが、アメリカで大きな農場を経営してコースグレインをつくっている連中は、どっちにしても儲かるような仕組みになっちゃっているわけです。
そういうまねがどうして日本でできないのだろうという気がしているわけです。それは、何か知らないですけれども、食糧管理制度か何かに縛られて、にっちもさっちもいかないような米作、そしてそれに伴った流通を長いことやってきた日本にとっては、それは無理なのかもしれませんけれども、アメリカの農家の人たちが作柄の変動に一向に平気であるメカニズムを何で日本に持ち込めないのかなという気がしております。もしご存じの方がありましたら、お教え願いたいと思います。
それから、これまた変なお話をして申しわけないのですが、前から私が個人的に考えていたことなので、どうもいわないと気が済まないので、お話しさせていただきますけれども、一連の私の切り口をごらんになって、農産物、つまり一次産品、我々が食べているもの、あるいは食べる原料になっているもの、生産の原料になっているものは、ヨーロッパ先進国によって生産されていることがおわかりいただけたかと思うのですが、そういうものが世界のマーケットに満遍なく、何の障害もなく流れていくような仕組みをつくらなければいけないと考えるのは生産者の立場なのです。
ところが、消費者は必ずしもそう思っていないわけです。現に日本の農家、あるいは日本の消費者もそれがいいとは考えていないわけです。ところが、世界的に見て、それが世界の動向でございますといわれて、そういうシステムをつくったのがウルグアイ・ラウンドです。ですから、私は、ウルグアイ・ラウンドが、農業あるいは漁業に関する限り、つまり我々の食糧生産に関する限り、長期的に見てあれがそういう産業を育成していくのに極めて有効であるのかどうかは、きちんと見据えていかないといけないのではないかと考えているのです。これは多少余計なことかもしれませんけれども、どうもそのことが気になっています。
穀類を使って肉をつくる。我々は、お米をつくって、それに魚をセットして食べる。こういう二つの体系のうち、どちらがいいのかといわれても、それぞれの見方があるわけです。私は、特にここでお魚の問題について、もう一度まとめてみたいと思います。
我々が朝昼晩食べております食べ物は、世界中どこでもそう