五十キロの穀類を食べているわけです。そのかわり動物性のものは五十キロ以下です。上のグループがいわゆる先進工業国です。下のグループが開発途上国です。食べ物できれいに分かれることになります。
もちろんヨーロッパの国々にも、低いところと高いところと幅はありますが、大体百キロを超える国が幾つかございます。アフリカの国々は、一つ一つ点は打っていないのですが、皆四十キロ以下にきてしまいます。そういう国々は、経済的な都合がよくなれば、どちらに動くかというと、まずほかの国と同じように、十分な穀類を食べるようになります。
ところが、十分に穀類をとっている国は、これからどういうふうに動くかというと、穀類はふえず、上の肉食に動くわけです。その場合に、直角に上へ動くのではなく、楕円形を描いて動くわけです。こういう国が上に動くことはありません。ないなんてことを私が断言していいのかとおっしゃるなら、日本がそうなのです。日本は昭和三十年代、お米の供給量が非常に多くなっています。昭和三十年から四十年にかけて、三十年の前半に一人当たりのお米の消費量が極めて多くなった。今の食糧庁のいろいろな米作対策はほとんどそのころにデザインされているわけです。
そのころと同じように日本人がお米を食べていれば、今のように肉を食べたり、魚を食べたり、野菜を食べたりしたら、過剰です。とてもそんなものを食べられるわけがないです。昔日本は下の方にあったのだと思いますが、それがだんだんに右へ移っていき、お米を食べるようになって、お米が十分に食べられるようになると、上へ動きだしたわけです。つまり、左から斜め上へという動き方になるわけです。最終的には上の方にまとまっていく格好になります。
だからこういう食性がいいというつもりは全くないです。これから議論をさせていただきますが、これがいい食性だとは思っていません。ただ、放っておけば、こういう軌道を描いて、どこの国もこの軌道の上に乗って上に行きたがる。我々日本もそうだった。
現に今日本ではお米が過剰だといいます。余剰米がたくさん出てしまっている。食糧庁の農業関係の人は、いつ日本人の米離れ、米の消費の減少がとまるのだろうと心配しておられる。これは前から、食糧関係の人といろいろお話をすると、その話が出るわけです。それは無理なわけです。
一方で、肉の輸入が自由になってどんどん入ってくる。魚はノルウェーあたりからどんどん入ってくる。そういう状態でお米を食べなさいといったって、それはできない話です。ただ、ここで違うのは、日本人がいかように肉を食べようと、いかように魚を食べようと、食体系の中心にいつでもお米を置いておくことだけは間違いないのです。そこのところだけが違う。
ですから、日本人の食卓からお米が消えることはあり得ない。そのかわりお米の量はだんだん少なくなっていく。周辺にある食べ物は依然としてお米に対応したような調理の仕方をしている。現に我々が食べている肉類も、皆さんご存じのように、しょうゆ味のものが多いわけです。だから、お米を中心にした食べ物が多いといえると思います。これは今の実態でございますので、これがいいとか悪いとかいうつもりはございません。