日本財団 図書館


私は、一九六〇年に海に出て、今日まで、夢いっぱいの仕事をしてまいりました。訪れた国九三ケ国、二三五港の異なった港に寄港しました。先日、返還されました香港は、七七回も訪れた思い出深い港です。かつて乗船していました、客船三隻(にっぽん丸・ふじ丸・新さくら丸)がその日、香港に停泊しているのを見ながら、私の時代は終わったのだなと思いました。

これからは、(社)日本船長協会で国内、国外を問わず、国際海上輸送に関する諸問題、海の安全、海の環境問題にも積極的に取り組んでいきたいと思っております。

美しい日本、緑の多い日本、海の綺麗な日本を守るためには、海難事故をできるだけ少なくする以外には方法はないと考えます。

 

質問

今回のお話は、特に海賊のお話だったのですが、昔、アキレラウロ号がシージャック・テロリズムがあったのですが、この件に関し何か、ご感想があれば、コメントをいただきたい。

また、ジャパニーズフラグを掲げている時、他の国の旗を掲げている時と、何か違う点があったら、コメントをいただきたい。

 

シージャックの件は難しいですね。アキレラウロ号(イタリア船)は、確かエジプトのアレキサンドリア港を出港してから、地中海で、アラブゲリラに乗っ取られ、乗客が射殺された事件でした。

一九八八年四月、プエルトリコのサンファンでシージャック防止に関する国際会議が開催されました。日本からは私一人でしたが、参加いたしました。

欧米の客船ターミナルでは早くから、シージャック対策を取り入れているようでしたが、地中海、カリブ海諸国では全く無防備で、ターミナルを完備してもらう以外、不可能に近いという結論でした。

我が社でも、シージャック対策をどうやって取っていくのか、最初は見当もつきませんでした。空港のチェックゲートのような体制を、船の舷門に、例え置くことができても、日本人主体の船客のチェックは難しく、舷門当直の人を増やして、監視する体制を取っております。

私の船乗り人生最後の航海は、ハワイ・カリブ海・アラスカ・クルーズでした。にっぽん丸がマイアミ港に入港したとき、国際会議で知り合ったハーバーマスターに出会い、マイアミ港内を案内していただき、いろいろと説明を受けました。乗下船する大勢の船客をすべてチェックする機能を備えていました。欧米人の船客は、日本人と違って、文句も言わずに黙って順序よく並び検査を受けていました。今さらながらアメリカは凄いと思いました。

手荷物の場合でも、飛行機と異なり、厳しくチェックすることは難しく、ましてや、あれだけの大勢のお客様の胃袋を満たすための、食糧の積み込みを各港でやるわけです。

私は、開き直って、乗組員と明るく楽しく働ける雰囲気づくりに努め、船客の皆様にもご協力願って、お陰様で無事乗り切ることができました。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION