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その船主協会の指摘には注目するが、海賊の被害者や乗組員の視点に立った、ICC/IMBの立場からすれば、本船が外洋で襲撃されようと、港内で襲われようと、何の違いもない。このレポートに記載されている、襲撃記録を見れば、港内の襲撃が外洋の襲撃に比べて、より暴力的でないという何の保証もない。

このレポートの様な統計により、船長、港長あるいは政府が、海賊事件の現状を認識する事によって、初めて、この困難な問題を解決する糸口が見えてくるのである。

ある船の乗組員が、ミッション ホオ シーメン に、海賊による被害を報告しようとしたところ、船長によって禁止させられた、という報告をICC/IMBは受け取った。

また、ICC/IMBは、海賊事件を報告しようとした船長が多くの港で、代理店によって中止させられているのではないか、と危惧している。その理由として、体裁を整えて報告書を作成する為に要する、「本船の遅れ」が指摘されている。

 

それから、我々が海賊以外に大変苦労させられております問題は、密航者対策です。

日本でも、戦後、海外へ渡航したいという人達が増えた頃、大阪商船の南米航路の移民船がありました。日本の最終港の横浜港を出港し、一旦港外で錨を入れ、密航者サーチをしてから出港したものでした。

日本を出港してから、密航者が見つかると、アメリカの港に入港した時に、大変な事になるからです。引き取ってもらえないときは、日本に帰るまで、密航者の面倒を見なくてはなりません。航海中、密航者が出てくると船の中は、一航海中、暗くなってしまいます。

日本人の密航者の場合は、言葉が通じます。尋問も簡単です。言葉の通じない密航者の場合が大変です。パスポートを持っている密航者はまずいません。身元保証が確約されない限り、どこの港も引き受けてくれません。港に近づくと、逃げられる心配もあり、監視の為に少ない乗組員を当直に立てなければなりません。

日本に帰港すると官憲の事情調査を受けますが、密航者の中には、「この船では、こき使われて、飯もろくに食べさせてくれなかった」と訴えた者もいたようです。

我々は、密航者が乗り込みそうな港を予測できるため、その港では密航者対策を立て、防止に努めました。

私は二年間、西アフリカに駐在していたお陰で、海賊にも密航者にも、巡り合わずに済みました。

実は、当時ナイジェリアのラゴス・アッパッパ港は世界で一番治安の悪い港でした。ナイジェリア以外の国の港に停泊中は必ず、タラップを上がったところの舷門の掲示板にNEXT PORT APAPAと書き込むことにしていました。次の港が、APAPAだと密航者も敬遠したのでしょう。西アフリカ諸港では、密航者対策を完璧に行っていなかった船は、酷い目に遭ったようでした。

香港で中国人の密航者に乗り込まれた船のケースでは、もちろんパスポートは所持せず、言葉も通じず、身元が判明するまで、船内に監禁したまま、航海を続けたようです。

最近では、東ヨーロッパの内戦により、クロアチア人、セル

 

 

 

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