詳しくはわかりませんが、船長が射殺されました。
このように、現在でも、海賊行為により多くの人命が失われているのです。
ここに、一九九六年の海賊の主な襲撃例を挙げてみます。
二月二六日、フィリピンのバシラン島で、二隻のボートに分乗した四人の武装海賊が漁船を襲い、乗組員九人を射殺してその漁船を奪って逃げた。この襲撃から逃げ延びた乗組員の一人が、警察に通報し、事実が判明した。
三月八日、マニラ港において、二グループの海賊が、バルカーを襲い、機関室で当直中のオイラー(操機手)を縛り上げて、エンジンの部品及び金品を盗んで行った。
六月二三日、ブラジルのサルバドル港に停泊していた船が七名の武装海賊に襲われた。乗組員は、銃身で殴られ、蹴られ、パンチを受けた。海賊は、船長に銃を突きつけ自由を奪い、二時間にわたり、乗組員の金品を強奪した。
一一月一一日、インドネシアのゲラサ海峡でやはり、ある船が七人の海賊に襲われ、船長を恐喝して、一万USドルを強奪した。その二日後、同地点でバルカーが、六人の武装海賊に襲われた。そして、一万七千USドル強奪された。
最初の事件発生後、「同地域では、海賊が活動している」とRPCは、衛星放送を通じて警告していた。
一一月一九日、インドネシアのサンダカン向けシンガポール港を出港した船が、シンガポール海峡の東の入口にある、ホースバーグ灯台を過ぎた頃、四〜五名のマスクをした海賊が船橋に現れ、船長以下乗組員を縛り上げた。その後、高速ボートが近づき、さらに三〜四名の海賊が乗り込んだ。英語で「もし手向かえば、全員殺す」と船内放送を行った。
翌日、本船はエンジンを停止し、二機士と四機士を除く全乗組員を救命艇に乗せ、離れてどこかに消えてしまった。救命艇に乗っていた乗組員は漁船によって救助された。
行方不明の二人機関士は後日、インドネシアのウジュンパンダンで発見された。本船は未だ行方不明である。
一一月二三日、リオデジャネイロ港のブラジル政府が設定した「安全区域」内において貨物船が、三隻のボートに分乗した十人の武装海賊に襲われた。そして、乗組員を恐喝して、二個の金庫と四個のコンテナーを開けて、中身を強奪した。
本船が発した遭難通報に対して、港長ばかりか、ブラジル海軍も応答しなかった。
これらは、一例にしかすぎません。昨年は一昨年に比べて、海賊行為の件数が多かったことを報告しています。
この様な、海賊事件は、国際的な損失であり、もっと各国政府は真剣に取り組み、海賊を撃退する効果的な手段を取らなければならないのですが、これといった決め手はなかなかないようです。
最近、アジアの某国船主協会は、当センターが使用している「海賊」の定義を批判している。その船主協会によれば、外洋の襲撃だけが、海賊であると言う。従って、港内/外洋を問わず、本船や乗組員が受けたすべての襲撃を、海賊行為として取り扱う当センターはその数を不当に膨らませて、海運界を悪いイメージにしている、と非難している。