下がってシンガポールへと入ります。シンガポールから昔から言われている「魔のマラッカ海峡」を通峡して、スマトラ島よりスリランカのドンドラッヘッド向け西に針路を執ります。それからミニコイ島の沖を抜けて、アデン沖。紅海を北上しスエズ運河に向かいます。
まず、この航海の最初の難関は、シンガポール海峡とマラッカ海峡です。この頃は同海峡には分離通行方式は採られていませんでした。いろいろな方向から船が集まる輻輳海域でした。この海峡を通峡し終わるまで、大変緊張しました。今では、シンガポール海峡は通航分離方式が採られ、一方通行となり、とても航りやすくなりました。
この海峡に関しましては、過去三十年間、日本がブイを設置したり、測量をしたり、約百億円近いお金を投じていただき、現在ではとても航海しやすくなりました。しかしながら、海賊の問題は、随分長い間残っていました。
官憲に振り回されながらスエズ運河を通過すると、アレクサンドリア港、メッシナ海峡を経て、イタリアのジェノア港、ジブラルタル海峡からドーバー海峡へ向かいます。
ドーバー海峡の手前で、ノースシーパイロットを乗せ、ヨーロッパの諸港を回ります。ヨーロッパの港は、ほとんど川の上流にあり、川を遡るために水先案内人が乗船します。
エントランス・シー・パイロット、リバー・パイロット(長い川は二度乗り換える)、ハーバー・パイロット(ドック・パイロット)と、我々は何人もの水先案内人に守られて安全運航を続けているわけです。
ヨーロッパでは早くから、分離通行方式が採用され、各国共通にレーダー管理システムにより、霧中でも安心して航海できる体制が採られています。これは余談でしたが、このようなヨーロッパ航路が「ヨーロッパ航路は海の銀座だよ」と言われた所以であったわけです。
さて、「魔のマラッカ海峡」と言われているシンガポール・マラッカ海峡ですが、ご記憶の方もいらっしゃるかと思います。
デビスカップの日本の選手だった、佐藤次郎さんが、試合終了後、ヨーロッパからの帰途マラッカ海峡で海に飛び込まれた事件がありました。
外国との交通機関が航空機となるまでは、すべて船を利用する以外、方法はなかったわけです。往航は余り問題は起きないのですが、復航でのマラッカ海峡で入水される方が結構おられたようです。ヨーロッパからの長い航海の疲れと、夏場、スエズ運河・紅海の暑さ、インド洋はモンスーンで大時化で船は大揺れの疲れとで、気がおかしくなる方も出てくることがあります。スマトラの沖にさしかかると、途端に、静かな海となり、緑がかった青い海を眺めていると、元気な方でも吸い込まれそうになるものです。そこにイルカでも、気持ちよさそうに泳いで出てくると「ああ、海に飛び込んで一緒に泳いでみたいな」という気持ちになることもあります。今でも乗組員が時々飛び込むケースがあります。
シンガポール・マラッカ海峡はご存じのとおり、シンガポール・マレーシア・インドネシアの三国に囲まれています。この海峡に長年海賊が横行した原因の一つは、三国がそれぞれ海賊