この様なお話をするつもりはなかったのですが、先程の高瀬先生のお話を伺っていて、何となく昔を懐かしく思い出しておりました。
今年は、一月にはナホトカ号が、七月にはダイヤモンドグレイス号が海難事故を起こしました。ダイヤモンドグレイス号の場合は、事後処理が速やかに行われ、大事に至らなくて、本当によかったなと私は思いました。そして、今後ともこういう事故が起こらないことを願っております。
それでは、国際海上輸送における諸問題に関してのお話をさせていただきます。どうか最後まで気楽にお聞きいただければと思っております。
我々海上輸送に携わっております船舶職員は、海上衝突予防法、国際法、各国のローカルルール、ハーバールール、国連海洋法等の法律を遵守しながら航海を続けている限りにおきましては、問題になることはまずありません。私は約三十年以上海上生活をしてきましたが、問題と感じた事はありませんでした。
しかしながら、航海中、戦争や内乱の勃発に出くわすと大変な事になります。
例えば、私が船乗りになって初めて出くわしたのが、エジプトとイスラエルの中東戦争でした。たまたま、運よくスエズ運河を通り抜けた後に勃発したものですから、我々は助かりました。
さいごん丸にて、サイゴン・バンコク航路就航時、未だベトナム戦争勃発前でしたが、カムラン湾内(後の軍港)にてガラスの材料の珪砂の荷役をしていました。時々聞こえる大砲や機関銃の音に大変危険を感じました。その航海の後、ベトナム戦争が勃発いたしました。その時以来、ベトナム沿岸を近接して航海することはしませんでした。
英国とアルゼンチンとのフォークランド戦争が終結する頃、あふりか丸に乗船、西航南米航路に就航していました。ラプラタ川河口に差しかかった時、軍艦から停船命令を受けました。「国籍、船籍、積荷の内容・揚地等を知らせ」に「船籍は日本・日本人の船長以下乗組員・積荷はゼネラルカーゴ」と答えたら、「OK、ノープロブレム」と言っただけで通してくれました。
我々は今までずうっといろいろな戦争海域を航海してきて、本当にありがたいと思ったことは、日本の国旗である「日の丸」に守られてきたことです。後にはイラン・イラク戦争では、その神話も崩れましたが……。
従いまして、そのような突発した戦争や内乱に遭遇しそうなとき、または遭遇したときどの様な方法で安全に航海できるかを考えるのです。
領海問題を考えますとまず、自由諸国の沿岸を航海するのと共産圏の国の沿岸を航海するのとでは、少々状況が異なります。自由諸国の沿岸では安全運航をしている限りにおいては領海内を航行しても問題は起こりません。しかしながら旧ソ連の領海では、十二海里に近づいただけでも、警備艇に追いかけられます。この様な危険な海域は、できる限り近寄らないコースを設定し安全運航に努めております。
我々船長の義務は、出発港から、目的港まで可及的速やかに最短距離を航海して積荷を安全に海上輸送することです。それらを守りながら、今日まできたわけです。