うかと思いますが、環境と持続的開発、サステーナブル・ディベロップメントといいますけれども、その両者の両立が最大の結論だと思います。
一方で、そういった「反漁業」という言い方がいいかどうかわかりませんけれども、先ほど申し上げましたような、いろいろな特定の動物なんかを念頭に置いた漁業を攻撃する勢力があると同時に、漁業資源、あるいは漁業というよりも海洋生物資源をサステーナブルに使っていくべきという概念は、実は途上国も含めて広がりつつあるのではないかという状況になってきていると私は思っているわけです。
もちろん、先ほどの鯨の問題はちょっと別ですが、鳥の混獲ですとか、このような問題は放っておいていい問題ではないです。もちろん漁業をやる側でも、そういったものはなるべく減らそうとする。今までは、マグロとかをとる方、実際利用する者にとっては、それなりにとり過ぎちゃって、いなくなっちゃって一番困るのは漁業者ですから、そういった利用するもののデータの収集とか、科学的な調査とか研究とかは、漁業者も熱心だったのですが、混獲される鳥とか鮫とか、必ずしも使わないものの調査研究は確かにおくれていた面があるわけです。そういったものにも積極的に取り組んでいく必要がある。あるいは既に実際やっていますけれども、そういったものは、とらないで済めばそれにこしたことはないので、なるべく混獲を少なくするような技術の開発、あるいは操業の工夫といったものも求められているということだと思います。
ここで、ちょっと話が変わりますけれども、特に二一世紀に向けて人口がふえることは当然わかっているわけで、数字が今ちょっと頭に入っていないですが、二〇五〇年には食糧がどれだけ足りなくなるとか、そういったこともいわれている。そういったことは、全部途上国にしわ寄せがくるわけです。
他方、穀物にしろ、家畜にしろ、生産は、今後それほど伸びない。なぜかというと、それは農地あるいは牧草をつくるには一定の限界があるし、それをふやすとなると、森を削ったり、農地をつくったりする必要があり、それ自身はうまくやればいいだろうけれども、それも地球の環境を守るためには、そんなに無制限にふやすわけにもいかない。
そうすると、自然の再生産力を利用した食糧生産、その代表的なものが漁業、つまり、海洋生物資源の利用なわけですけれども、それを持続的に発展させていかなければいけないという考えは、繰り返しになりますけれども、いわゆる漁業先進国、日本とかだけではなくて、むしろ途上国なんかにも広まりつつあるという状況であります。
そういった中で、まとめというわけでもないですけれども、先ほど申しましたように、日本は、漁業国としても、環境保護というか、資源保存との調和を図って漁業をやっていくと同時に、これはなかなか議論があると思うのですが、やっぱり海のものというのは、二〇〇カイリで囲まれちゃったものはちょっと別かもしれないけれども、そろそろ公海の資源の利用は自由だという時代ではないのではないか。思い起こせば、海洋法会議が始まった一因は、いわゆる深海底の資源はコモン・ヘリテージ・オブ・マンカインドというパルドーさんの演説、それが