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(2)東野さんが語る家の建て替え

台風できしむようになった100年は経過していたであろう家を、昭和38年に東野清一郎さん(66)は建てかえた。入母屋妻入りの家で、街道筋の雪降ろしの配慮から切妻平入りの多い柏原には珍しい。今もびくともしない、渋くしっとりとした紅柄(ベにがら)色の柱がひかる座敷で、当時の普請についてお聞きした。

 

?法事が家の間取りを決めた

「当時は、街道沿いは寝間、年寄の部屋はお日様がもったいないので奥になってしまう、他を犠牲にしても20人の集まる法事ができる八畳の続き間と、棺桶を飾る“シホウガン”が出せる間口4.5尺以上の玄関をつくることが一番重要なことだった」。

 

?施工のために入念の準備

一人前の家”にする思いは、自分の山での木の伐採(12月)から出来上がるまでに3年かけたそうである。瓦を葺く土も採ってきて一年かけて腐らし準備したそうである。

又、雨をはじき、防腐剤としての紅柄は手間がかかる。ペンキと違い木の理(め)を生かして自然の材料である。塗っては乾かし空拭きし、これを2〜3回繰り返す。最後にかびを出ないように沸かした菜種油を塗る。紅柄は使う量を一度につくる。それも一年前に酢で溶かし番茶の灰汁で渋く落ち着かせる入念さである。東野さんは「今は“直ぐ”ばっかりになったから」と苦笑し、「家をつくるときの根性抱けは人に負けないつもりだった」と当時を振り返った。自分の山の木や古いものも使ったので、費用も「当時で130万円位」それほどかからなかったそうである。

?やたら釘を打つな

東野さんは今でも木材業に関わっていて木材について大変詳しい。「手間暇かけて材料を準備してつくると愛着の心が生れる、“やたら釘を打つなよ”。言いたくなる」家をつくる時そういう事がとても大事だと思える。床の床板と壁際の“雑巾ずり’を指差して、「自分で気を配ると小物の材料も好い加減なものは使えなくなる。物をだいじにする気持ちを持っていれば、家は持つんだが。最近白木を良いようにいうけれども、神さんと同じ白木の家は住めないと言われた。ほんとのところは在家では家のお守も大変なので汚れを防ぎ、古呆けてみえないように紅柄を塗っていた面もある」と東野さんは言う。

 

?元が悪い

「漆喰がもたないと左官屋が言うが、元の土が悪い。屋根の登り棧に杉の赤身材でなく、白木を使ったりピンからキリまで考えなくても良いけれど一番肝心なところ(もと)は抜けてはいけない」そして「屋根でも瓦下の木“裏甲(うらご)”が悪ければ瓦屋は腕がふるえない。瓦が泳いでしまう。裏甲は昔は一本物だったが最近は二間ものが多い。最後はやはり大工さんの腕。二間ものでも大工さんのとめ方一つ。一工夫してくれる職人さんかどうか。人はそこのところを見ている」

 

東野さん、西村さん、相馬さんの話をお聞きし、家づくりの考えのスパンの長さを考えさせられた。今の地球環境を考えるととても大切な知恵が一杯、地元の家の作り方にある。

 

 

 

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