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第3章 柏原宿のまちなみと地区環境

 

3-1 まちなみ景観

柏原のまちなみは、江戸時代の重要な街道中山道の宿場町のようすを今日に伝えるものとなっている。江戸時代は、伊吹山の薬草園でとれるヨモギからモグサを生産し全国に売る商家をいくつか内包して、比較的大きな活気ある宿場町であったことをしのばせる。明治以降もいくぶん都市的な農業集落として生活の場でありつづけ、独特の落ち着きのある景観を作りだしてきたものである。

このような優れたまちなみ景観が存続しているのは微妙なバランスが幸いしたともいえる。名古屋大都市圏と京阪神大都市圏の中間にあるため、ひどい過疎現象を経験していない。新幹線開通までは日本第一の幹線鉄道であった東海道本線の駅に接する。かといって名古屋まで60kmの距離にあり、宅地スプロールがおしよせるには遠すぎ、乱開発にさらされたわけではない。まちなみに風格をもたらす戦前の建物に加え、1960年代に伝統様式で都市的な農家が建ち並ぶ景観である。戦後にもこのように伝統様式で建てられた住宅の多いことが、全体の歴史的景観を支えている。農業以外の職場が町内には少ないとはいえ、大垣市などへの通勤圏となっている。総じて生活の場として特別に困難な条件のないことが、まちなみ保存を考えるうえで重要な経済的条件となっている。

街道に立ち並ぶ住宅は片側だけで百軒ほどあり、東西方向に連なっている。伝統的まちなみのなかでも長さでは大きな部類に属する。間口の広さが5から7間というところが多く、間口の広いところは、田の字型農家の間取り、狭いところは町家風の間取りとなっている。

そのため、純粋に都市的なまちなみに比べゆったりとじた雰囲気がある。住宅には、ベンガラを塗っているのがこのあたりの習慣になっていて、全体の色調を決めている。住宅の配置も街路に面している若干の前庭を作る家が増えている。また、住宅の前のスペースに、ツツジなど低木やリビングストンデージーなどの花もあしらわれているのも特徴である。この点でも都市的な高密度なまちなみに農業集落の趣が交わったものとなっている。

家並みの裏側が広く、庭と畑が100m前後続いている。敷地に余裕があるので、住宅と住宅の間が多少空いており、そこから庭の柿の木や花が垣間見える。国道21号線が集落の南に平行に走り、交通量を受けとめており、このことも通過交通の少ないことから来る落ちつきをもたらしている。

町並みの中央で街道と交わる市場川のほかにも、小水路が各所で姿を見せている。隣の醒井ほどでないにしても、伝統的町並みにつきものと言っていい、水のある景観がある。また、近江特有といってよいこんもりとした山やまが、家並みの上から顔をのぞかせている。

ここまでは街路側から見た景観であるが、南側国道21号線あたりから集落を望むと、近傍で最高峰の伊吹山が雄大にそびえ、その手前に小山、家並み、奥行きの深い庭・畑が重なり、この町並みは街道側からだけでなく、外から眺める遠景としても優れた景観を作りだしている。

宿場町の周辺の景観も重要で、農地はもちろん、その中を流れる河川と堤防、山裾、そして集落から離れた場所にある成菩提院などは、街道沿いの宿場町とはいえ歴史的景観にふところの深さを感じさせている。集落からすこし離れた東西に楓並木がある。これもまた珍しい街道の風景となっていることは特筆すべきことである。

 

 

 

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