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(6)小さくなった湧き水

柏原宿には湧き水がある。駅から少し西のあたりに小さな祠の横に深い洗い場があるが、ここの水は湧き水との話である。しかし昔、子ども頃はもっと大きかったという声もある。半分はコンクリートに囲まれてしまっているが、かすかに石積みが残り、多分ここは生活空間としての洗い場であったのだろう。婦人会館の西にも小さな溜まりがあり、ここは水が湧き出ているようにも思える。この溜まりも昔はもっと大きかったそうである。一昔前まではここに土の付いた野菜を持ち寄って洗っていたのだろう、そんな風景がよぎる。

 

(7)空家となった銀行

宿場を西に進んでいくとちょっと風変わりな建物に出会う。柏原銀行の跡である。今は空家となってしまい、ところどころ屋根瓦もずれている。しかし瓦一つひとつに細工されている彫り物の細やかさやこの建物にも立派な庭があったなどという話を聞くと、銀行としての風貌がでてくる。銀行の窓口はどこでされていたのかと聞くと、東側の玄関から入ってこちら(楼みたいな部分)であったと思うと当時を語ってもらった。空家になると建物はすぐに傷んでしまうので町で整備・公開してもらいたいものだと話し合った。

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(8)3書体の道標

街道の片隅に一つの道標を見つける。これは「やくし道」とあり、漢字、変体かな、ひらがなの3つの書体でそれぞれの面に書かれている。このような3つの書体のある道標というのは全国的にもめずらしいそうだ。西薬師への案内で通称西やくしさん。こういう道標があるとついついその道を訪ねてみたくなるとメンバーの一人が言う。道標は往時のにぎわいのかおりを漂わせ、今日も人たちを案内しているのである。

 

(9)空き地で残る御茶屋御殿

宿場の西の端付近に空き地がある。ここは徳川将軍が上洛の際に休泊のための御殿「柏原御殿」が建っていたところである。御茶屋御殿、御茶屋ともいい古い宿場絵図にものっている。今は古い井戸のみが残っている。

まち歩きをはじめて1時間でようやく御茶屋跡に到着した。歴史の案内を受けながら、皆であれこれと話していると予定していた一里塚までは行く時間がなくなってしまった。今日は柏原宿の半分しか歩けなかったが、それだけでも歴史の目はまばたきする間もなかった。たくさんの歴史的資源があふれている、それが街道にひっそりとたたずんでいるという印象であった。部屋に帰ってグループで歴史の目としてのまとめを行った。

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