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をどう継承してゆくかという抜け道のない課題が重くなっている。

歴史街道にある宿場町の伝統を現代のまちづくりに活かそう、まさに消えようとし忘れられようとしていた時期に、この発想を提起したのはだれだったのか。全国的な町並み保全の運動で先導的な役割をはたしてきた各地の事例の影響があったかも知れない。つづくところ、1971年から1996年まで続いた「街道をゆく」司馬遼太郎の連載があり、歴史軸を横断して行く現代の旅の視野が拓かれた。新しい地域ルートの見方として、歴史街道づくりを推進する全国的キャンペーンもが登場した。こうした動きにもかかわらず、柏原宿は、もともと地味な中山道のなかにあってもさらに目立たない存在であった。たとえば近畿2府6県の歴史街道100選には、柏原、醒が井、鳥居本の近江の中山道の各宿場は入っていない(「歴史街道を行く」昭文社1997)。

この宿場町の伝統的な町並みの消滅を惜しんで新しい活用の可能性を見出だしたのは、住民自身であった。空き家になった松浦邸宅を保存活用して歴史資料館として、まちづくりに活かすということから、上記の整備調査委員会が結成され、それを支持する住民の熱意がつたわって今回のナショナルトラスト調査地区に選定されたのである。

 

3.柏原の現代的風景

JR柏原駅前に立つと、そこは至ってそっけない空き地で、山東町全体の案内板だけが立っている。100m先のT交差が中山道と接点である。柏原宿は全長約1500mに及ぶ。交差から東へ500m行くと近江国(滋賀県)と美濃国〈岐阜県)との国境である。といっても小さな溝を隔てて旅籠があり隣と寝ながら話ができたとかの寝物語の里の碑と長久寺がある。家並みがしばらく途切れる辺りには樹高さ10mにもおよぶ見事な楓並木がある。そして湧水のひとつである白清水とその名にまつわる照手姫笠地蔵がたたずんでおられる。ふたたびT交差にもどって西にすこし行くと、脇本陣跡、つづいて本陣跡や問屋跡で当時の建造物は残っていないが、前栽の樹木と石垣には往時の風格を偲ばせるものがある。整備委員会が造った案内板や「やいと祭り」実行委員会がたてた高札風のガイドプレートが新しい。この辺りは霊仙岳を奥山とする北下がりの台地で、街道は何本かの河川を横断する。市場川は河川改修で三面張になっているが水量は豊かである。橋をわたって筋向かいが「伊吹艾(もぐさ)」の本舗である亀谷のお店がある。眉の濃い福助さんの大きな人形が来客を迎えてくれる。伊吹山(1379m)の山頂部は雨量や日照の関係で艾などの薬草や高山植物の種類が豊富である。江戸時代普及していた灸療法に用いる艾を物産として全国にひろめたのは当地の功績である。かつては10店舗を数えたそうであるが、いまは亀屋だけである。店構え、居職の様子、庭園も往時のままである。この辺りは柏原宿の中心ちくであって、荷物引継ぎの大役を果たした問屋は6軒、旅籠屋・郷宿は大小合わせて22軒、その他に魚屋、荒物屋、髪結所、煮売屋、和蝋燭屋、木綿屋などがあったというから、当時は街道町でありかつ近在の人をあつめる郷中心として繁栄していたと記録されている。中井川への手前からを下り路になり家並みがおわる辺りから松並木の街道が始まる。T交差から西へおよそ1000mの距離である。

 

4.地理学的な景観を読む

このように、柏原宿を紀行風に記すと、どうしても史蹟や名所スポットが中心となって

 

 

 

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