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序 その1:歴史街道の再生

 

1.見出だされる歴史的町並み

日本には伝統的な町並みを意識して、まちづくりに取り組んでいるのは、何箇所くらいあるだろうか。1990年ごろに、文化庁が都道府県に照会したところでが550箇所くらいであったという。1997年に文化庁の委託をうけてナショナルトラストが同じ調査をしたところ、回答から約950箇所が数えられた。

それらすべての市町村や地元で、伝統的町並みを意識したまちづくりが進んでいるとはいえないにしても、箇所数は年々増加の傾向にあることは確かのようである。

もし、伝統的な町並みを単なる古い建造物の集まりだとすると、これらは時間とともに老朽化し消滅するはずである。それが、年々増加の傾向にあるというのは、居住している人びとが、自らが住み次世代を育てる場所として、ふるさと特色を求め、個性あるまちづくりの原風景として歴史にたづねてみようとする意識を高めていることを示すものである。

中山道の宿場町としての「昔の面影が消えて忘れきられようとしている」と、柏原宿整備調査委員会・山東町教育委員会が平成5(1993)年に設けた現地案内には記されているが、消えゆくものを惜しむという感情とともに、消滅にまかせるのではなくて、なんとか継承できるように考えようというアピールが込められていたように思われる。

柏原には古代から人びとが居住した遺跡があるが、いまの民家・町並みの原型はなんといっても中山道の宿場町として形成されたものである。中山道といえば木曽路が有名となり、馬籠と妻籠が完全復元をおこなって伝統的町並み保存の先達となった。これにくらべると、美濃から近江にいたる中山道に沿う宿場町はどちらかというと地味な存在だった。「夜明け前」のようなドラマ性がなかったこと、国道やJR東海道線などが近接平行していて交通条件がよく、木曽路のような過疎からの一途な脱却に迫られなかったことから、いうなれば現状維持とゆるやかな後退の時期を過ごすことができたといえよう。県という近代の行政区画からすると県境ゾーンであるが、生活圏域からすると美濃・近江を結ぶ中間ゾーンとして、大垣・岐阜、米原・彦根への便利な通勤地帯となっている。生活するだけなら、近在にさまざまな就業先があり、相原を近郊居住地と考えれば、住宅地としての維持は十分に可能である。事実、柏原宿の南の高台ではハウジングメーカによるニュータウン開発も成り立っている状況にある。

 

2.保存と再生をめぐる諸問題

柏原は、自然と歴史に恵まれた通勤住宅地として生きていけるかというと、おそらく話はそれほど単純ではないはずである。

第一に伝統的な大きな民家がある。大都市からみるとうらやましいかぎりだが、小家族では住みこなせないし、維持費もかさむ。若い世代が都会に出て空き家になっている家屋もすくなくない。人が住まない木造家屋は老朽化がすすみやすい。かといって、そのまま借家にだすわけにもいかない。第二に、住み続けようとしても、間取りや設備で現代住宅の快適さにおよばない。高齢期でも安全に住めて、また息子や娘の結婚相手も気に入ってくれる住宅に改修するにはどうすればよいのか迷っている。第三に、人口が少なくなると身近な店舗が成り立たなくなり、保育所の園児も少なくなる。コミュニティ全体の活性化とどうするかという問題が生じている。めぐまれた立地条件にあるが、歴史的な街道の町

 

 

 

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