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地と平面の形態を示すものであり、六軒の町並成立期に遡るものと見られる。市場庄の本村に対して、農業経営への依存度が小さい、初瀬本街道の追分を擁し、旅篭が立地し、参宮道者の送迎がなされるなど宿場的な性格が強い六軒では、町並の形成時から、本村の町屋の形式に関わらず、より都市的性格を持つ平入町屋が定着した。

久米

久米は市場庄の南に位置する農業集落であり、街道を軸として一列に連なる街村の集落形態を持っている。その敷地規模は市場庄とほぼ同様であるが、住居は棟を通に直交させ、妻壁が道に面するものの、妻側は全面が壁となり、大戸口を始め、開口部は設けられない。本調査では久米の住居の実測調査は行えなかったが、外観の観察では、平側の南面東端の大戸口から出入りする四間取り系の平面となり、市場庄の町屋とは全く系統を異にする。

松阪

久米の南に位置する城下のはずれの船江にはある程度の妻入町屋が見られ、津城下のはずれの雲出と類似している.一方、城下の町屋は津城下町と同様に敷地一杯に建てられた平入であり、旧小津家住宅など古風な例ではもともと板葺であったことが確認できる。

伊勢

伊勢の町屋は桟瓦葺の妻入であり、平面構成や屋根構造も基本的には類似しており、市場庄の町屋と同系と見られる。なお、伊勢では屋根葺材は桟瓦章に先行して用いられていたのは草葺であり、宝暦の大火を契機に草葺から瓦葺への転換を遂げていった。このような屋根茸材の推移は、板葺から桟瓦葺へと推移していった津や松阪とは根本的に相違する点であり、市場庄の町屋も伊勢と同様に草葺を先行形態とするものと見られる。しかしよう詳細に見ると、市場庄の町屋と伊勢の町屋とは次の点で相違が見られる。

1)市場庄では土間が背面にまで及ぶのに対し、伊勢周辺では土間が小規模で、大戸田部分に限られ、カンテにも床を張ること。

2)市場庄では、ナカノマに目を引く戸棚や仏壇を据え、家格表示的な性格を負わせるが、伊勢ではナカノマにこのような性格は希薄である。

3)市場庄では二階居室が小規模で、正面の開口面も小さいが、伊勢周辺では二階居室が発達し、正面の開口部も間口一杯に開かれて開放的となる。

 

 

 

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