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一方、街道に両面する町並で大規模な平人町屋が出現するのは、米本正美家住宅(明治二〇)や萬濃嘉家住宅(未調査)のように、明治以降のことらしい。新たに出現した平入町屋は総三階の居室を設ける(米本家)、小屋裏を利用し三階建てとする(萬濃嘉家)など、通常の妻入町屋では実現の難しい問題に対応するために、意図的に選択された形式と考えられる。

離れの出現

離れは主屋の奥に設けられ、ザシキの裏から折れ曲った縁で連絡する。平屋で数寄屋風の意匠を持った二室程度の続き間であり、主屋での接客機能不足を補い、改まった接客に用いられる。また、中西家では離れで養蚕を行った。小津の松浦家住宅では江戸期に遡る離れが見られるが、このような離れが市場庄で一般化するのは明治以降である。

街道面の建物の連続

市場庄の町屋は街道に面して主屋、門、納屋、土蔵を並べ、敷地の間口全体を建物で埋める家屋配置形式を持っている。このような街道面の附属屋の建築年代は明確ではないものの、土蔵は主屋と同様に江戸末期に遡る例もあり得よう。一方、門や納屋は所見上、江戸期に遡り得る例は見出し得ず、古いものでも明治〜昭和戦前期の建築と見られる。

同じく三雲町の小津の松浦家住宅では街道に面して主屋や門、離れが建ち並ぶ構成が江戸末期には完成されている。市場庄でも上層の町屋では同様に街道面に建物が建ち並ぶ状況があったであろうが、江戸期の一般的な町屋での街道面と敷地の境界の構成は明確ではない。

浴室・便所の整備

市場庄には、昭和三〇年頃まで町並の三ヶ所に共同風呂があり、焚く人も順番で当たっていた。一般の町屋はこれを利用していたという。浴室の整備は共同風呂の衰退と前後する時期のことであり、カッテの裏面に設けられる場合が多い。

便所は明治期以前の状況を維持している例は見られないが、本来、外便所であったと見られる。現状では主屋南側の外便所と別個に、浴室と並ぶ位置に背面縁からの内便所が設けられている例が多い。

カッテの改造

カッテでは土間に床を張り、また天井を張って、流し台、カマドなど厨房器具を取り替え、食事用の椅子・テーブルを入れ

 

 

 

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