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市場庄の町屋は、ミセやナカノマの上手に押入に代えて戸棚を部屋の幅一杯にはめ込み、小物の他、衣類、座布団、布団を収納する。これらは上間側に相対した、人目に付く位置を占め、装飾的な効果を上げている。このような戸棚は周辺の町並では殆ど例を見ないが、一方、市場庄ではこの戸棚を整えなければ、家を建てたことにならないとされ、重要視されている。

特にナカノマの戸棚は、欅材を使用して拭漆仕上としたもので、戸板には木目の美しい幅広材が用いられ、飾り金物も上質で見事である。一方、ミセにはナカノマと同等程度の戸棚か、舞良戸状の戸板を用いたややおとなしい意匠の戸棚を用いる。

また、ナカノマには、この戸棚と同仕様の欅材の仏壇を戸棚と並べるのが普通であり、更に神棚もナカノマに設けられるのが通例であるため、ナカノマはザシキとは別個の格式的な表現と重要性を持つ居室となる。

このような戸棚は江戸末期には既に見られ、昭和戦前期頃まで作り続けられていくが、江戸末期ないし明治期のものは比較的地味であり、華やかなものは大正期ないし昭和戦前期のものである。市場庄の町屋の戸棚を作った職人はあまり明確ではないが、大正期には松阪西町の指物職人「差徳」、同船江町の「差文」が仕事をした例が知られる。

仏壇

幅半間程度であり、戸棚と同様に欅材の拭漆仕上とし、戸棚とともにナカノマの部屋幅一杯に組み込むことが多く、また、少数ながらザシキの床脇に据える例や、ナカノマとザシキの中間を独立したブッマとしてここに据える例、ミセに据える例も見られる。三重県下で例の多い黒漆塗の仏壇は、市場庄ではあまり一般的ではない。

神棚

神棚はナカノマに設けられるのが普通であり、南面または東面するように差鴨居に棚を吊って納める。多くは既製品であり、制作年代も比較的新しいようである。

 

5.市場庄の町並を作った職人たち

大工

大工の判明するのは、次の例があり、明治期には「大角(だいかく)」こと中村八百吉・文翁大工、大正期には梶田大工などの活動例が知られる。これらを初めとして大工の殆どは市場庄に居住する者である。

 

 

 

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