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の時期に区分することができる。それによれば、市場庄の町屋は概ね大正初年頃までは、歴史的な構成を維持していることが分かる。

1)江戸〜大正初

伝統的な町屋が再生産されていた時期。この時期は更に、

江戸〜明治中

明治中〜大正初

に二分できる。江戸〜明治中は、街道交通が機能していた時期であり、妻八町屋の正面を街道に開放して街道通行者を相手の商売が行われていた。

一方、明治中〜大正初は、参宮鉄道が開通して街道交通が衰退したため、街道通行者を相手の商売が低調になり、伝統的な町屋の骨格を維持しながらも、正面に出格子を設けた時期である。また、従来は一般的でなかった平入町屋が出現するなど、新たな傾向が現れてくる。

2)大正初〜昭和二〇年代

建ちの低い妻入平屋が出現する。これは一階平面は従来の町屋と同様であるが、表二階の居室や裏二階の屋根裏収納を持たない点で異なり、また、屋根もそれ以前の町屋が切妻造であるのに対して入母屋造となる。

3)昭和三〇年代〜

二階に天井高の高い複数の居室を設けるため、建ちの高い二階屋となる。屋根は入母屋造を多用し、妻面を街道に向け、

二階屋根や一階屋根、玄関屋根などの破風がいくつか重なったものとなる。

 

2.町屋主屋の基本構成

市場庄の町屋は妻入を基本的な形式としている。以下ではこの妻入町屋について述べ、必要があれは平入町屋についても、適宜触れていく。

上屋と下屋

妻入町屋は大屋根を受ける上屋部分と、その側面や背面に取付く下屋部分からなる。上屋部分の間口は三間半〜四間半程度であり、その規模はほぼ一定している。また、上屋部分の奥行は六間前後となるのが普通である。

側面の下屋は、土間側に張出す場合(下手側、市場庄では南側)と北側(上手側)に張出す場合がある。南の下屋の張出しは通常、一間前後であり、土間回りの諸室の規模を拡大するた

 

 

 

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