日本財団 図書館


伊勢街道沿いは 集落の形態として一本の道を軸とした線状の秩序を有し、道に直接面する町屋も見られる。香良洲道沿い、及び上ノ庄、中ノ庄においては塊状の集落であり、この集落においては町屋は見られない。

大きく分けると2つのタイプに分けられる。狭い敷地の間口いっぱいに主屋が面し、街道に対して主屋の間口を設ける町屋と、広い敷地で街道に対して主屋はセットバックし開口部は設けず、南側に庭を有する農家である。

町家の概念はきわめて曖昧であるが、一般には、敷地の形が街路に面した間口の狭い長方形で、建物が街路に沿って建ち、道路に面した部分に「ミセ」を設け、単体として存在するのではなく、隣家と接して連続的に建てられる住宅をいう。

一方、農家の一般的な特徴として、広い敷地と南側に設けられた庭が挙げられる。

今回比較に挙げた事例からまとめると、市場庄の妻入町屋は、農業生産と街道交通への対応という二面性を有し、土間の側面に部屋を配する平面や、街道に向けた商売用のミセによる道に対する開放性は町屋的な性格が色濃い。生業としての農業との関わりは敷地形状と建物配置にあらわれる。すなわち敷地は広い間口を有し、主屋を北側に南面して配置させ、南側に庭を設けるという点は農家に一般的なは性格である。敷地間日を主屋と門、納屋、蔵といった付属屋でふさぎ、街道に対して正面性を主張するのは、正面位という点では道に対して主屋のミセ部が顔となる町屋的であり、庭を建物で囲むという観点から見れば農家的である。

このような形態を持つのは他の集落においては見られず、市場庄の独自性を裏付ける。農業を主体とした生活基盤の上に成り立つ、町屋的な性格の融合・付加の結果といえよう。

また、市場庄の農民は余裕のある豊かな農業経営から「旦那百姓」と呼ばれ、街道に向けての商売も農業経営の副業の域をでるものではなく、街道交通への依存度は高くはなかった。そのため、明治中頃の街道交通の衰退も生活にさして大きな影響を与えなかった。

このような農業と商業、そして豊かさから生まれた市場庄の町並みは、街道に対する正面性とその正面性故の裏側での増改築(裏側へのそれだけの敷地規模の余裕もある)により、町並みを構築し、また維持し続けてきたことが伺える。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION