日本財団 図書館


に「六軒」と記した家並と高札場を描く。また『伊勢路見取絵図』には「六軒茶屋」と記され、橋の南詰に平入りの家並と高札場、道印(道標)が描かれている。文化5年(1808)12月の幕府御用伊能忠敬らによる初瀬街道の測量時には、27日に八太村(一志郡一志町)から「市場庄村 紀州殿領 之内六軒茶屋迄測」とある(測量日記13『初瀬街道 伊勢本街道 和歌山街道』)。この時に作成された『和州式上部自吉陽(陰)村勢州一志郡至市場村』の大図(伊能忠敬記念館蔵)も残されている(三重県史別編 絵図・地図)。

高札場には5枚の高札が掲げられ(明治二年大指出帳)、現在、明和7年(1770)、同8年(1771)、安永3年(1774)、同6年(1777)の4枚が残されている(三雲町指定文化財)。

道標には年号はないが、各面に「大和七在所順道」「いかこへ追分 六けん茶や」「右いせみち 六軒茶屋」「やまとめくりかうや道(大和巡り高野道)」と刻まれた大きな道標があり、道の東側には文政元年(1818)9月建造の両宮常夜灯がある。常夜灯は基壇の刻銘によれば、大坂の守口屋庄兵衛と江戸屋吉兵衛らが建てたものである。

慶応2年(1866)の「米穀高値ニ付米払下ニ付御願」(『松阪市史』13 御用留 岩崎家文書)には、家数58軒、8歳以上の人数240人、茶屋、旅籠屋、旅人商ひとあり、明治2年(1860)の戸数は35軒で、8歳以上の人数が男67人、女53人。男女ともに「茶屋并旅籠屋稼」で、牛馬は居らず、宮には小松大神、稲荷社、秋葉大神があるとする(明治二年大指出張)。

明治11年(1878)には、近藤喜右衛門(足袋屋)、堀井五郎兵衛(江戸屋)、浅井寅吉(吾妻屋)、中村多吉(久保田屋)、小出辰之助(三田屋)、中村註兵衛(湊屋)、中川利吉(磯部屋)、林平四郎(布袋屋)の8軒の宿屋があり、3月の一ケ月間には8133人が宿泊していた(諸願伺届書記簿 岩崎家文書)。追分の人で賑やかな往来が知られる。

三渡村は明治22年(1889)3月の町村制により、下流と河口の松ケ島村、松崎補とともに一志郡松ケ崎村になり、その大字三波となったが、六軒の名も併用されてきた。昭和42年(1967)年には松阪市六軒町になる。

『伊勢路見取絵図』の家並の裏に社殿と鳥居の描かれた「小松明神」である村社小松神社、境内社二社も、松ケ島村、松崎浦内の各社とともに、明治40年(1907)12月に松崎浦村社蛭児社に合祠され、松ケ崎神社と単称されて現在に至る(三重県神職管理所公報)。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION