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里」を通り(耕雲紀行 『同』)、永享5年(1433)の足利義教の参宮は、あのゝ津(安濃津)-雲津の里-ほしあひの里(星合)-かさ松(笠松)-みわたり(三波)を通る(伊勢参宮紀行『同』)など、近世以前には今より当時の海岸に近い所を通っていた。

天正16年(1588)に蒲生氏郷が、松坂城を築き城下町を整備した頃、森須川(小野江)-三渡し六軒)-市場庄-久米を経て松坂に至る今の道筋が整備され、道沿いに新しく集落ができたのだという。市場庄の東にある「古屋敷」(こやしき)「古市場」(こいちば)の小字名も、その名残とされる。

市場庄の家数は元禄7年(1694)には134軒で、宮に本宮、熊野権現、新宮があり、寺は禅宗神楽(しんらく)寺があったが(元禄七年大差出帳 『三雲庶民史』)、明治2年(1869)では99軒で、8歳以上の人数が男198人、女211人、牛23匹、馬1匹、寺には神楽寺、宮には熊野権現、那智弁才天、新宮、恵美寿、穢除(えのき)天神、坂東山神とある(明治二年大指出帳 『松阪市史と13御用留)。明治6年(1873)頃作成と思われる地籍図『伊勢国一志郡市場庄村』によれば、街道の両側にだけ宅地が116筆ある。街道の片側では50軒以上が軒を連ねていたわけである。

文化年間(1804〜1818)作成の『伊勢路見取絵図』には、平入りと妻入りの混在した家並が描かれ、なかほどに「制札」場がある。

明治22年(1889)3月には町村制の施行により久米村、中ノ庄村、上ノ庄村とともに合併して米ノ庄村となり、その役場が市場庄の家並の中央に設置された。この時の戸数は140戸、人口は642人であった(町村制実施取調書)。

昭和30年(1955)3月には米ノ庄村も天白村、鵲村、小野江村とともに合併して三雲村をつくり、昭和61年(1986)2月には三雲町大字市場庄となり、市場庄の名を継承している。

 

4.六軒茶屋

六軒茶屋は三渡川の南岸にあり、伊勢と大和を結ぶ初瀬街道と伊勢街道の追分でもある。もとは市場庄村の枝郷で、『元禄郷帳』には「見渡茶屋新田」、『天保郷帳』では「古者見渡茶屋新田 市場庄之内 三渡」の名で出てくる。ただし三渡の庄屋岩崎家の『御用留』の表紙には、天保2年(1831)以降になると「三渡村」と表記される。

『伊勢参宮名所図会』の「三渡川(かみわたりのかは)」には、長大な橋のたもと

 

 

 

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