これは韓国だけではなくて、東南アジアのマレーシアのバキンダにしても、インドネシアのユーセフ・ワナンディにしても、そういう人々はむしろ今回の危機をてこに改革を進めていくという意識があります。これに対して、先ほどの韓国の元駐米大使のような割り切れない気持ち、同時に強いものがあります。韓国でいいますと、やはり民主化の形を急いだ民主化がよくない。あるいは、東南アジアでいいますと、まだ十分に成熟した経済でもないにもかかわらず、グローバライゼーションだとかエイペック自由化だとかいう最先端のところの格好だけをまねる。実際はその裏では、権力がファミリーの私腹を肥やすためにオフショアーを非常にうまく利用している。大体、華僑系を使うとか、海外の一部の金融機関と裏でつるむというようなことで、自分の既得権益のところにだけドルを流し込むというようなトンネルとして使ったのであって、そのようなものではだめだ。やはり、明治以降の日本がやってきたような開発、独裁とまでは言わないけれども、そのような流れに時間をかけた近代化の国民経済的なものをしっかり根づかせた歩みの中で、自由化を徐々に進めていく必要がある。こういう考え方が一方で非常に強いと思います。
例えば、このような国難になりますと、強いリーダーシップを求めます。強いリーダーシップというものは民主主義だろうが何だろうが、必要なときには必要なわけですけれども、韓国でいいますと、この間の大統領選挙で3位になった朴正煕そっくりさんみたいな人が出てくるわけですね。つまり、朴正煕ノスタルジアが一方で非常に強いわけです。その背景には、民主化の騎手として出てきたはずの金泳三に対するものすごい失望感があります。もし、金大中がまた失敗するというようなことになると、「文民の大統領は二代続けてだめだ。やはり文民というのはだめなのではないか」という意見も招きかねないと、韓国の知識人は言っていました。そのような背景のもとで、朴正煕ノスタルジアのようなものが一方であるということです。
日本でも、私の友人の榊原さんは、やはり急ぎ過ぎた自由化のつけが問題を悪化させたという見方に立っています。榊原さんの資本主義の日本モデル論、それを踏まえたアジア開発論、アジア主義というものは非常におもしろく、非常にスリリングなプレゼンテーションなのですけれども、今、思想的なものも含めて、非常に皮肉な形でそれが根本から取られていると思うのです。つまり、ある意味でアジアは一つになっているわけ