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は権力を掌握している一部の人たちが意図した文化を受容することになる。すなわち、文化は政府の打ち出す政策によって形成、確立される部分も非常に大きいからである。

過去において、たとえばローマに侵略された国々の中で、もともとローマ文化を持ち合わせていなかった国家が、ローマの影響を受けて融合された文化をもつようになったこともある。たとえ、それがその構成員の望む文化でなかったとしても、年月を経ると、強制されたものでもその国の文化となっていくのである。

よって、日本人が「法律を使わない」「訴訟を好まない」というのは、はたしてほんとうに日本人そのものの性格、文化からくるものなのだろうか。それとも、法律に慣れ親しむ機会をいちども与えられなかったからだろうか。再度考えてみる必要がある。

 

法治国家としての「法のインフラ」

 

日本は、明治維新以来、官僚の統制が強くはたらいてきた国家であった。第二次世界大戦前は、軍閥、財閥、富閥といわれる三閥によって、国家の方向づけがなされていた。そこには民意というものはまったく反映されていなかった。「戦争終結後」、この状況に変化が生じ、軍閥、財閥は解体されたが、官僚の解体はなされず、むしろ日本を復興させるための要としての役割を任された。これは日本の復興の上では非常に重要であったといえるが、結果的には日本の政府政策は、戦前と変わらず一部の者によって決定される政府政策の形をとることとなってしまった。これにより、戦後改善された部分もあるが、おおむね明治維新以来の官僚の意向に基づく日本の文化というものが形成されてきたといえる。

政府政策は、必ずしも直接人間の考え方に影響を与えるものとはいえないが、間接的には多大な影響を与えている。

とくに、政府政策を円滑に運営するためには、国民側の個々の不満を最小限にする必要がある。行政措置や行政指導に対し、その法的根拠と権限を正す道を国民に対し容易に確保してしまうと、それにより政府政策というのはつねに修正を迫られることになる。そこで、意図的か否かの判断は簡単には下せないが、政府の対応は、法による国民の救済の道に関しては非常に消極的であった。残念ながら、前向きの姿勢をあまり期待できる状況にはなかった。

その結果、日本は法とその運用で大きく立ち遅れることになった。そもそも、日本が、欧米社会から一流国家として認めてもらうためには、法制度を整備する必要があった。そこで、法律は制定するが、それは日本社会に根づかせるためというよりは、日本家屋の床の間のような位置づけがなされた。すなわち、重要な位置づけをするが、あまり使わない存在とされてしまったのである。

したがって、国民がみずからの権利関係を確認するための手だての多くは、必ずしも満足のいくような形で確保されてこなかった。たとえば裁判所を利用するための民事訴訟法、法律のアドバイス、弁護をしてもらうための弁護士の確保、行政措置に関する手続き、不服訴訟への道を確保する行政手続法、行政訴訟法などの基本的な制度に関する政策も、おのずと政府が政策の上で不利益とならない方向で進められてきたのである。

政府が力を入れようとした分野は積極的に法を整備し、そうでない分野に関してはあまり策を講じない。これによって、国民の法へのアクセスは遠ざけられてきたのである。これらの政策に慣れてしまった日本国民にとって、法律や訴訟は身近な存在になりようがなかった。

以上のことからもわかるように、今後、日本が国際的にもまた個々の国民にとっても公平なシステムを構築するためには、法律へのアクセス手段の確保、すなわち「法のインフラ」を整備することがきわめて重要となってくる(図5-2)。「法のインフラ」を一言で語ることはできないが、ここでは「法のインフラ」を代表、そして促進すると思われる民事訴訟法と行政手続法の二つにしぼって紹介する。

 

●わかりやすい民事訴訟法の実現

民事訴訟法とは、私人間の紛争を解決するための司法手続きを規定するものであるが、はたしてこの制度を実際に利用したことのある国民がどれくらいいるであろうか。

日本人はできるだけ裁判を避けたがるが、これはその国民性によることもさることながら、民事裁判、訴訟法の「わかりにくさ」によるところが大きいと思われる。一般の人々にとって、「裁判沙汰」という言葉が示すように、裁判所や弁護士は遠い存在である。民事訴訟法の条文を

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