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により、政府の規制の度合いを日米で調整することは、日米の法制度の調和の一歩として評価できる。

しかし、法制度の調和がこれだけでは、その意義は半減する。なぜなら、政府規制の撤廃は、政府による国内の民間企業の保護、優遇、あるいは国外企業に対する差別を是正することができるが、民間企業間の競争を有効に促進することはできないからである。すなわち、政府が法制度を整備しないという不作為そのものも、結果的には外国企業に対し参入障壁を形成することになるからである。この問題に対する日米の歩み寄りがまだ不十分の状態であることも認識せねばならない。

 

●日本の官僚は司法を抑制している

法治国家においては、国民が主権をもち、法律による支配を基本としている。しかし現実には、国民は直接政治に参加するわけではなく、代表者に委ねるという間接的な参加に限定されている。日本では、形の上では選挙で選ばれる議員で構成する国会が立法を行うことになっているが、実際には、各省庁における官僚がそれを行っている。また、権法は国民に対し司法を通じた種々の権利の救済の道を保証しているが、具現化されていない。たとえば裁判にしても、種々の手続法にしても、実際には行政側が原案づくりをしているからである。あることに対して不服の訴えをおこそうとしても、訴える手段そのものが不十分であるとすれば、並大抵の努力ではすまされないほど道はけわしくなるからである。要するに、国民にしてみれば訴えても無駄だということになるのである。

日本国民はまだ満足な形での司法機構というものを経験したことがない。したがって、その使い方も、それによって得られる利益がいかなるものかも理解していないのである。法法律は、つねに政治・経済とともに歩んでいるものであるので、経済大国となった今、しっかりした法治国家にもならなければならない。

日本社会は三権分立を確保しているといわれてはいながらも、立法と行政の二権は事実上、官僚制度に抑えられているのは、明白である(図5-1)。 この官僚支配といわれる現象は、実は独立しているはずの三権目の司法にも大きな影響を与えているのである。というのは、官僚が国民に対する政策を円滑に進めるためには、国民レベルでの自由にある程度の犠牲を強いる必要性も出てくる。このため、民間レベルで訴訟がおきることは、必ずしも政府にとって望ましいことではないので、司法機構の拡大に対する抑制がはたらいてきたといえる。

たとえば、訴訟をおこすことの困難さ、明確な法手続きによらない行政処分の多さなど、さまざまな角度から事実上の司法に対する制約がはたらいてきた。これは、議員内閣制の下で、本来ならば立法権を国会がもち、行政権を内閣がもつはずであるが、実際には政治家にかわって立法の職務を一貫して担ってきている官僚が、これらの分野に大きな影響を与えており、三権分立の確保が困難となっていることによると考えられる。

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●日本人はなぜ法律を使わないのか?

日本人は「法律を使わない」「訴訟を好まない」ということがよく指摘されるが、はたしてほんとうなのだろうか。それが日本人が本来もつ法文化なのであろうか。

日本人が争いごとを好まないといわれると、確かに和の大切さを重んじる協調主義の文化が思いおこされる。歴史を振り返ってみると、農耕文化を中心とした地域密着型の社会では、隣人とのつきあい、協調性を大切にしていかなければならなかったであろう。しかし、長い歴史の中で、日本人は戦国時代のような経験もしている。それぞれの時代の日本人と現在の日本人の性格とは、今とは異質のものであったといえないだろうか。

このようにみていくと、もともと法文化とはいったい何を意味するのか、あらためて考えなければならない。そもそも文化そのものを考えても、その民族が誕生したときから「文化」と呼べるものを持ち合わせていたわけではないし、おおむね環境や政治などの要因によって形成されてきたものである。環境は、地理的な特徴が大きいために、人間みずから築き上げることは困難であるが、政治は、その構成員である人間が実行するものである。民主主義国家においては、間接的とはいえ民意という形で、その民族あるいは国家の構成員の最大公約数的な意思を反映することが可能なはずである。

しかし、政治への参加は往々にして一部の者にかぎられ、構成員の大多数は受益者的な存在でしかないことも多い。したがって、政治の影響で文化が形成されるとすれば、それは実際に

 

 

 

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