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第5章 ルール重視で摩擦を制する 田村次朗

 

摩擦解消策としての法律の意義

 

日米摩擦の歴史は、一九五〇年代の日米繊維交渉から始まり、四〇年もの年月を教えることになった。しかし、いまだに有効な解決簾を日米双方が見いだしたとはいえない。これは何が原因であろうか。

基本的には、日本の貿易障壁に対するアメリカの不満に日本が対処することで、摩擦の解消をはかろうとしてきた。しかし、日本の対処の方法は、みずからの資本主義システムに疑問を感じていなかったためか、つねにその場しのぎの限定的な市場解放策という解決策しか打ち出されてこなかった。確かに、アジア・日本型資本主義や欧米型資本主義と呼ばれるものがあり、普遍的かつ絶対的な資本主義システムが存在するとはいえないので、日本はみずからのシステムを擁護できないものでもない。しかし日本が成熱化し、国際社会における大国としての役割を問われている現在において、このやり方はもはや限界である。

今、日本がアメリカに対して示さなければならないのは、このような小手先の策で真の問題を先送りするのではなく、先進資本主義社会の一員としてのシステムを立派に備えた国家であることを示すことである。日本は第二次世界大戦に敗れたあと、民主主義国家として再スタートを切ったわけであるが、経済発展にエネルギーを傾注するあまり、法治国家としてのシステムの公正さを確保することにはほとんど力を注ぐことがなかった。したがって、現在の日本は法治国家といえども、その法制度は、公平な機会を与える術としては機能していない。

日本が今後いかなる政治的な解決策を講じたとしても、この問題に真剣に取り組まないかぎり、日米摩擦は根底から解消されることはないだろう。そこて本章では、日米摩擦の真の解決策として、法制度の調和がいかに重要なものであるか、あらためて考えてみることにする。

 

●「規制」とは法がつくるもの

日米摩擦において、つねに問題が政治によって対処されてきたのは周知の事実である。日米摩擦の主たる原因になっているのは経済問題であり、したがって有効な解決策を政治のみに期待することには限界がある。

そもそも経済活動は、資本主義社会の中では本来、民間主導の形で展開すべきものであるので、国家の介入はなされないはずである。だが現実には、経済取引において国家が「規制」という形で介入する場合も多々ある。これらの問題を政治的な対話を通じて解決していくのはそれなりの意味もあり、その形態もさまざまである。貿易の面でいうならば、税という形で輸入を制限する関税障壁と、数量制限、輸出補助、輸入基準などのいわゆる非関税障壁がある。また国家は、国内経済に対し各種の税制、許認可などの手法で介入しているが、これらはいずれも日本において最近、批判の対象となっている。

このように、国家の経済に対する介入は、資本主義経済の中では慎重に扱わなければならない。日米経済摩擦における政府間の交渉の多くは、この国家の介入の程度を争うものである。とくに日本の政府介入の程度は、資本主義経済国家としては、世界的にみても希なほど大きいという批判が強い。そこで、アメリカは一つの戦略として日本に対し、資本主義社会として果たすべき一国家の役割を要求するという、政治的な交渉を続けてきた。このような試みの代表的なものが日米構造問題協議であった。

しかし、これらの政治的交渉は、「何を実際に求めてきたのか」という原点の問いに返って考える必要がある。戦後、初期段階においての日米における貿易のテーマは、関税を引き下げることから始まり、非関税障壁といわれる政府措置に対し、それらを撤廃することがさかんに求められてきた。日米構造問題協議が始まる前後からは、政府による国内経済に対する措置も含めた国内経済のあり方そのものが問題視されるようになり、国内経済政策である「規制」が、日米交渉の中心課題となった。そして日本政府の国内経済への介入を最小限にすること、すわち規制の緩和が、日米の大きな争点となってきた。ここでいう「規制」とは、すなわち立法で制定された法律にほかならない。また、「規制緩和」と一言でいうが、規制が緩和されたあとの社会環境の秩序維持もまた、ほかならぬ法律が担っているのてある。

今まで日米経済摩擦で、問題とされてきた法律は、規制という形で国家が積極的に介入するものが中心であった。そこで、アメリカのように比較的政府介入の少ない国家は、日本のように政府介入の多い国家に対して、規制を撤廃することを要求してきたのである。このアプローチ

 

 

 

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