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明するときに、この問題が出てくるわけですね。日銀から留学している人がいて、その人と話をして非常に面白いと思ったのは、これは田村先生に伺いたいのですけれども、行政控除説というのがあります。どういうことかというと、三権分立の中で、主権は在民だから、国民にあるのだけれども、それを寄託されているガバメントというもののうちで、立法はここですよ、司法はこれですよ、残ったのは全部行政だという考え方があります。なぜそうなってしまったのかというと、やはりおそらく明治憲法からきているのではないかと思います。この辺は、私は学説を知らないですから、大学の行政法の大家に聞かないとわかりませんが、欽定憲法では天皇が全部持っていて、それをおまえにやる、おまえにやると言っていたものが、戦争に負けて、明治天皇からの受権がなくなってしまったわけです。全部国民にいったのだけれども、国民はどうしていいのかわからないから、残ったのは全部行政という、行政オールマイティーになっているところがすごくあります。

それがどのように出るかというと、例えば日銀の独立があるわけですね。これは、日銀法を改正したときに、日銀の独立ということを明示できなかったのだそうです。内閣法制局が、それは行政控除説に反するから、つまり、日銀は行政府ではないのに、それをだれも監督しないということはあり得ないということが出てきて、日銀と大蔵省と内閣法制局の間でいろいろあったということです。

もちろん、構想日本で田村先生がおやりになっているところは、全く第三者なのだけれども、そこら辺の感覚というのは、憲法学とか、行政学などでどのように始末するのかということがひとつあるのではないかと思いますけどね。

逆に言うと、基本的にアメリカというのは憲法修正10条で、Bさんもご存じの通り、ここにも書いてありますけれども、本来は州と州民が持っているものをちょっとあげただけなのですよ。ときどき返してもらわなければいけないとなっているわけです。当然にして、権限法がないと何もできないわけです。典型的な例は、1981年の通商法の改正で、ダンピング法の施行は、実は財務省が権限を持っていたのですけれども、あまりダンピング法の税の徴収がいい加減だということで、全部取り上げられて、商務省に渡されたのです。そういうことは、日本ではおそらくあり得ないだろうなと思います。

田村 後者の方は少しわからないのですが、前者の行政控除説というのは、非常に勉強になる話で、今度調べてみたいと思います。ただ、Aさんもお分りのように、欽定憲

 

 

 

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